出版物
日本発の台湾に関する誤情報-ナラティブ分析と新たなナラティブの形成
要旨偽(誤)情報に対する懸念が高まるなか、どのように対処すればいいのであろうか。本稿は、日本国内から発せられた台湾に関する誤情報を用いて、この問題について検討する。日本経済新聞が2023年2月28日に掲載した「台湾の退役幹部の9割が中国に情報を売っている」との記事は、日本国内で議論を巻き起こしただけでなく、台湾政府が直接に内容の不正確さを指摘するまでに至った。本稿ではまず、この情報に関するファクトチェックを行い、誤情報である可能性が高いと分析する。次に、当該誤情報の対象となるペルソナと誤情報が持つナラティブの詳細な分析を通じて、本誤情報への対抗策を講じる。50歳の既婚者男性で、会社員で管理職を担い、世帯年収850万円、日経新聞の読者である人物をペルソナとして推定し、誤情報が反台湾感情を惹起しうると指摘する。ペルソナが高い関心を持つ経済の観点から対抗ナラティブを形成し、拡散の際の注意点にも触れる。最後に、本稿の限界を指摘しつつ、新聞記事であってさえ正確性に注意しなければならないと結論する。
敵対国を内側から攻撃する影響工作:中国が「語らないもの」の政治性
要旨2024年1月25日に、法学研究科の市原麻衣子教授が執筆した記事、「敵対国を内側から攻撃する影響工作:中国が「語らないもの」の政治性」が『nippon.com』に掲載されました。本記事で市原教授は、中国による影響工作の近年における手段・規模の拡大と主な目的について論じています。市原教授は習近平政権下での中国共産党の影響工作は、対外宣伝の強化や対外偽情報の利用など、攻撃的に展開されてきたと述べました。また、香港のデモや新型コロナウイルス流行を受けて国際的な非難が高まる中、中国共産党を美化する一方で米国の対応を批判するナラティブを拡散したと指摘しました。そして、中国共産党が影響工作を行う目的は民主主義国を内側から弱体化させることにあるとした上で、その典型例として処理水の海外放出を巡る偽情報の問題を取り上げました。最後に、影響工作のターゲットは我々個々人であり、情報発信者の政治性を意識したうえで情報を摂取することの重要性を強調しました。
中国・ジョージア関係 ―チェスボードの新たな一手か?
要旨2024年1月13日、ジョージア与党のハイレベル代表団が中国を訪問した。中国とヨーロッパを結ぶ中央回廊イニシアティブ(Middle Corridor Initiative)に関連して、中国とのつながりを強化することを目的としていた。ジョージアが支持するこのイニシアティブは、ロシアを経由する北ルートが困難になったことでより一層重要性を増した。中国は、一帯一路構想への投資と参画を通して、ジョージアで活発に活動している。今回の訪問は、2023年の戦略的パートナーシップ声明の後に続くものであり、重要な節目となった。しかし、パートナーシップの具体的な性質は未だ漠然としており、ジョージアの外交政策の優先事項はロシアと西側の同盟国との関係に重点が置かれている。声明は政治的・経済的・文化的紐帯を深めることを目的とするものの、実質的な成果は不明瞭だ。コーカサス地域に対する歴史的な関心を念頭に置くと、ロシア、米国、トルコといった他の地域プレイヤーを考慮することが重要となる。ジョージアの中国への転換は外交政策のアプローチの変化を表している。しかし、コーカサスの複雑な地政学的ダイナミクスの中で、二国間関係への影響は不明瞭なままだ。
偽情報は世界最大の民主主義国をいかに蝕むか
要旨インドは世界最大の民主主義国家であるにもかかわらず、新型コロナウィルス感染症(以下、コロナ)流行初期にフェイクニュースが急増するなど、重大な偽情報の危機に直面している。最近では、国民の半数以上が偽情報にさらされており、偽情報はインド国内の膨大なインターネット・ユーザーによって増幅されている。フェイクニュースの拡散には、与党インド人民党(Bharatiya Janata Party: BJP)の支援を受ける右派インフルエンサーが大きく寄与している。彼らはSNSを用いて分断を導くナラティブを広め、政敵を標的にしている。これは国内の緊張、特に宗教的少数派に対する憎悪感情を高めるだけでなく、インドの民主主義を弱体化させている。ファクトチェッカーや政府による一定の対策はあるものの、インドにおける偽情報対策は依然として一筋縄ではいかない。
日韓はアジアの難民も支援を 〈多思彩々〉
要旨2023年8月6日に、法学研究科の市原麻衣子教授が執筆した論考、「日韓はアジアの難民も支援を」が『信濃毎日新聞』に掲載されました。本論考は、ウクライナと同様またはそれ以上に、アジアでも大量に発生している難民を目の当たりにしている日本と韓国が示すべき姿勢を概説しています。市原教授は、まずアフガニスタンとシリアではウクライナと同数、またはそれを超える数の難民が発生していることを説明し、それにもかかわらずなぜこれらの国々が報道で取り上げられないかを分析しました。教授は主権侵害の状況がわかりやすく描写されているウクライナ侵攻に対し、一見国内の政治情勢に起因する難民発生が主権とは無関係に見えるというわかりやすさの違いが差を生んでいると指摘しました。また、攻撃を受けるウクライナと侵攻を行ったロシアという善悪の構図が鮮明に描かれている一方で、その他の国では善悪の枠組みを示すことが難しいことも理由であると論じました。最後に、市原教授は日韓の政府に対し、客観的かつ信頼される難民支援のための、アジアの人道的支援への協力の必要性を論じました。
デジタル影響工作対策の課題—なぜEU・アメリカは中露イランの手法に対応できないのか?
要旨EUやアメリカで行われているデジタル影響工作対策は偽情報への対処を中心としたもので、それに関連して海外からの干渉や大手SNSプラットフォームなどへの対処が含まれている。しかし、中露伊(中国、ロシア、イラン)の作戦の主たる狙いは相手国の国内にすでに存在する分断や不信を広げることであり、偽情報や大手SNSプラットフォームの利用はその方法のひとつにすぎない。中露伊は他の選択肢を用いてEUやアメリカの対策を回避できるためEUやアメリカの対策の効果は限られた範囲に留まっている。攻撃主体の狙いが相手国内の分断や不信である以上、防御側にとって自国の社会全体を含めた状況の把握は対処ならびに調査研究の前提となる。しかし実際の調査研究ではケーススタディが多く、全体像が調査研究されることは稀であるため有効な知見が乏しい。全体像を欠いた対症療法となっている現在の対策は無差別な警告を発する警戒主義に陥りがちで、結果として分断と不信を広げている可能性がある。デジタル影響工作への対策においては全体像の把握と共有を優先することが重要である。
イスラエル・ハマスを巡る虚偽情報とナラティブにみる国際政治の変容
要旨2023年12月8日に、法学研究科の市原麻衣子教授が執筆した記事、「イスラエル・ハマスを巡る虚偽情報とナラティブにみる国際政治の変容」が『Foresight』に掲載されました。本記事で市原教授は、イスラエルとハマスを巡る誤情報・偽情報が乱れ飛んでおり、他国政府、政党、トロール、陰謀論者など、多様なレベルのアクターが情報空間を歪め、無視できない影響を与えていると指摘しました。市原教授は、偽情報の拡散メカニズムについて、関心経済モデルが用いられ、情報の真偽や質よりも人々の関心を引き感情に訴えるコンテンツが拡散され、そうした感情に訴える虚偽のコンテンツが驚異的な速度でネット上に拡散されていると説明しました。ファクトチェックやメディアリテラシー教育の必要性が指摘される中、偽情報の出現速度がファクトチェックの速度を大幅に上回ること、人々の感情と行動を操ろうとするアクターは必ずしも偽情報ばかりを拡散するわけではないこと、影響工作を行うアクターが情報ロンダリングを行うこと等から、その効果の限界についても述べられました。最後に市原教授は、軍事力だけでなく情報が、そして当事国だけでなく様々な種類のアクターが影響力を持つ時代にあって、感情と情報に駆り立てられた人々が形成する国際政治を理解し分析するための分析枠組みが必要であると強調しました。
断片化した声 ―香港と海外における民主主義をめぐる闘い
要旨香港の状況は悪化している。活動家に対する地元当局の抑圧的な行動は増加し、抑圧の対象は国境を越えて海外の香港人にも及んでいる。活動家や支持者の逮捕、海外での法律執行の拡大から明らかなように、弾圧は自由と民主的価値の著しい侵食を象徴している。報道の自由と民主主義に関する世界的な指標における香港の順位の低下や、香港からの移民の顕著な増加は、このような悲惨な状況を反映している。しかし、時間の経過とともに、香港のディアスポラは、新しい環境における個々人の旅によって形成されるアイデンティティの変容を経験しており、コミュニティの感覚の変化が見られ、故郷の状況に対する反応には相違が生じている。この挑戦は、政治的抑圧、移住、アイデンティティ、自由と民主主義の尽きることのない探求といった、より広範なテーマを浮き彫りにしている。