ケンブリッジ大学ビジネスリサーチセンター(CBR)との共催で「法律と人工知能」をテーマとする未来洞察ワークショップを開催
一橋大学大学院法学研究科・角田美穂子教授がリードする国際研究プロジェクト「法制度と人工知能」の一環で、WP1「法制度と人工知能の未来シナリオ研究グループ」メンバーが渡英し、ケンブリッジ大学の研究メンバーと一緒に、「仕事と労働法の未来」をアジェンダとするHorizon Scanning手法を用いた未来洞察ワークショップを開催しました。
今回、渡英したメンバーは、角田教授のほか、WP1グループリーダーでHorizon Scanningワークショップの第一人者である本学経営管理研究科・鷲田祐一教授、未来シナリオ作成を主導している同・上原渉准教授、日英労働法に精通し、労働法の未来シナリオ作成に大いに貢献している東京大学大学院法学政治学研究科・神吉知郁子准教授、本学法学部出身でリーガルテック・経営法務で活躍する小原隆太郎弁護士(中村角田松本法律事務所、2023年度法学研究科客員研究員)の5名。
ホストとなったケンブリッジ大学側のリーダーであるビジネスリサーチセンター所長・サイモン・ディーキン教授は労働法の世界的権威としても知られる。ディーキン教授は、ワークショップ参加者のダイバーシティを熟慮し、ケンブリッジ大学本部の人事部関係者、ケンブリッジ大学ジャッジビジネススクールの企業の労務管理研究者、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学のコンピュータラボやビジネススクール、法学の研究者のほか、リーガルテックに勤務するデザイナー、英国における企業経営者、ブリュッセルで活動する欧州労働組合研究所の幹部などなど、「仕事と労働法の未来」を語りあうのに相応しい、選りすぐりのメンバー32名が集うこととなった。
午前中は、3グループにわかれて、1週間前に配布した未来の予兆を含む断片的ニュースを集めたScanning Materialをもとにグループとしての「社会変化仮説」を紡ぎ出しました。そこでは、専門家のふだんの思考の枠から脱却させて自由な発想で断片情報を繋いで仮説を立てることが鍵となります。その後、グループの社会変化仮説を発表し、近いうちに実現しそうだと・・「強く同意」「同意」「あまり同意しない」「全く同意しない」などアンケートを実施し、英国における「社会変化仮説」を導出することとなります。
午後からは、ガラリと志向を変えて、「仕事と労働法の未来イシュー」のグループディスカッションを行いました。その思考方法の切り替えにあたって、日本チームが2年余りかけて作成した「仕事と労働法の未来」に関する3つのシナリオを含むアニメーションを上映し、続いて、神吉知郁子先生がアニメーションの背景事情などを解説したところ、会場は大いに盛り上がりました。
アニメーション「2030年:AIが普及した社会における仕事と労働法(workplace conflicts and AI in the future)」はこちらからご覧いただけます。↓
https://drive.google.com/drive/folders/1LUvBr-ptVgs1aSNE5xmc6WrKnN5uJEsI?usp=share_link
●未来シナリオアニメーションの補足的解説 神吉知郁子(東京大学)
[シナリオ1]
シナリオ1では、AIによる人事評価の問題をあげている。現在EUでは、AIシステムの利用に関して、リスクの大きさに応じた規制をかける規則の制定を進めている。その規則は、このシナリオにあるような雇用に関する領域で、面接での評価、昇進や契約終了の決定、パフォーマンスや行動のモニタリング、評価などにAIを利用するケースを、ハイリスクなAIシステム利用として分類する。こうしたハイリスクAIシステムの利用に関しては、データガバナンスと記録の保持、透明性確保、人間による監視が重要になる。そのため、システムの利用者については、品質管理、適合性評価を受ける義務、自動生成ログの維持義務、情報提供義務などが課される。AIシステムの提供者は、事前に適合性評価手続を経なければならない。
日本には現在、このような規制は存在しない。しかし、近い将来にこの規則が発効すれば、事業者がEU内にいる者をターゲットにAIのシステムやサービスを提供する場合には、AIのアウトプットを利用するだけでもこの規則の適用対象となる。これに違反した場合には、巨額の制裁金が課され、ビジネスが続けられなくなる可能性もある。基本的には、世界中でEUの動向に沿った規制が進むと考えられる。そうなれば、鈴木さんのような被害者は出ないのだろうか?もっとも、すべてのAIをライセンシングするのは不可能だという見方もある。
ところで、日本には特殊な雇用慣行があるため、このシナリオは他地域の視聴者には奇妙に思われる部分があるかもしれない。日本の特に大企業では、かつて「終身雇用」とまで呼ばれたような長期雇用を予定して、大学を卒業してすぐの若者を採用し、最初は仕事を限定せず、会社内部で様々な仕事を割り当てながら様々なポジションを経験させ、内部昇進させる仕組みがとられてきた。仕事の能力を基準に採用しないので、出身大学のレベルといったポテンシャル、会社への忠誠心といった抽象的な要素が評価に含まれることもよくある。
また、賃金などの待遇は、その時々で担当している仕事ではなく、経験や勤続年数をもとに少しずつ上がっていく。したがって、若いうちは安い賃金で我慢し、中高年になってから出している成果よりも高い賃金をもらうことになりやすい。このように、日本では若者と高齢者が対立構造になりやすい。この点、他国では状況が異なる可能性がある。
[シナリオ2]
シナリオ2では、フリーランスギグワーカーの問題が取り扱われる。このシナリオは、将来のストーリーではなく、すでに現実化している。もともと、労働市場において一人で仕事を請け負うフリーランサーは弱い立場にある。事前に決めた報酬の不払いや、ハラスメントの問題なども頻繁に起きている。こうした問題は、訴訟では使用者の安全配慮義務違反を争い、契約違反または不法行為として損害賠償請求が認められる。安全配慮義務は、雇用契約だけではなく、フリーランス契約にも黙示条項として含まれると解釈されるからである。しかし、そもそもフリーランサーが一人で訴訟を起こすハードルが高い。そこで、特別の法規制が必要と考えられる。
現時点で、その方向性は3つである。第一に、形式上はフリーランス契約を結んでいても、実際には雇用契約である場合には、働き手を「労働者」として扱い、既存の労働法の保護を適用することが考えられる。これは新たな規制ではなく、誤分類の修正といえる。第二に、フリーランサーの中でも労働者に近い者には、そのステイタスはそのままで、労働者に対する保護と同様の規制を拡張することが考えられる。たとえば、日本では、労働者に対する労働災害の公的補償である労災保険について、フードデリバリーサービスに従事している者のような一定の自営業者について、特別の加入制度を設けた。もっとも、イギリスなど他国では労働災害は社会保険の対象ではなく、労働災害について「労働者」とそれ以外に区別を設けていないことがある。その点、状況は法制度によって異なる可能性がある。第三に、公正競争を促進する見地から、事業者間の取引の適正化を強化することが選択肢となる。とくに、事業者間に交渉力の差がある場合、優越的な地位の濫用を制限する規制が有効となりうる。
もっとも、このように規制を強化する場合、フリーランサーの仕事は減るかもしれない。使用者が人件費のかかる人間の代わりにAIを使うことは、全くの自由だからである。そうはいっても、急激に少子高齢化が進む多くの国では、人手不足を解決する朗報かもしれない。画像生成AIやChatGPTの活用をみると、脅かされている仕事は、以前考えられていたルーティンの仕事よりも、クリエイティブで専門的な仕事かもしれない。今後、人間は技術をオーガナイズする立場でいられるだろうか?
[シナリオ3]
シナリオ3では、組合や労働委員会の限界が描かれた。もともと日本では、ヨーロッパ諸国にみられるような産業別の組合が組織されておらず、9割が企業別組合である。企業単位で組織された組合は、組合員の全員が当該企業の従業員であるため、企業と利害が一致する。つまり、その企業の発展という共通の目的のために協調し、労働者にとっての雇用維持を優先するために労働条件の改善を譲歩することも珍しくない。2022年、たとえばイギリスではストライキによる一ヶ月の労働損失日数が90万日に上った。他方で、日本の平均労働損失日数は、1年で30日にすぎない。戦わない組合の存在意義が問われて久しいが、状況の変化は見えてこない。
労働委員会とは、集団的労使紛争解決のための行政機関である。これはアメリカのNational Labor Relations Boardに倣ったもので、不当労働行為についての申立があった場合に、調査や審問を行い、救済命令を発出する。これは、各都道府県と中央の二審制の組織である。もっとも、その所管事項は、不当労働行為(①不利益取り扱い、②団体交渉拒否、③支配介入)の救済に限られるため、多様化する労働紛争に十分に対応できていない。それでもほかに救済機関がないので、労働者は自分が解雇されてから組合に加入し、組合員であることを理由とする差別だと訴えることすらある。労働委員会の権限を拡充するという提案もなされているが、このシナリオでは紛争解決のための新たなプラットフォームを構想してみた。
事業主のイニシアティブで仕事をマッチングするプラットフォームがあるなら、働き手をつなぐプラットフォームがあっても良いのではないか。このシナリオは、イギリスのOrganiseという組織の活動をヒントにしたものである。伝統的なストライキも重要だが、より広く、いろいろな専門家の知見を集め、社会運動として働き手の地位向上が図れないだろうか。そのほかにも、たとえば、企業が用いているアルゴリズムが情報公開されることを前提に、その適正さを診断するような機能も備えられると良いかもしれない。企業を超えたつながりが薄い日本にとっては、まさに第三の道であるが、あなた自身の視点からはどう映るだろうか。(以上)
アニメーションを踏まえ、未来シナリオ・英国版をより深く議論できるよう、ふたたび3グループに分かれて議論をしたところ、午後の議論もアニメーションの登場人物への共感をベースとしながら熱を帯びるものとなった。最後に各グループの議論を紹介して散会となりました。ワークショップ終了後も熱気は冷めやらぬなか最後には集合写真まで撮影されました。一日通して議論し尽した、心地よい疲労感に包まれた皆様の表情はとっても印象的なものでした! 文責:角田美穂子