民主主義・人権プログラム
2023年マレーシア州議会選挙 —「統一政府」の展望—
出版日2023年11月27日
書誌名Issue Briefing No. 47
著者名ムハマド・タキユディン・イスマイル
要旨 2022年11月に行われた前回のマレーシア総選挙(GE15)以降、マレーシアの政治情勢は大きく変化し、特にパカタン・ハラパン=バリサン・ナショナル(PH-BN)連立政権といった新たな政治連合の形成が注目された。しかしながら、「統一政府」と呼ばれ、アンワル・イブラヒム(Anwar Ibrahim)率いるPH-BNは、マレー系有権者から確実な支持を得ることはできなかった。2023年8月に行われたマレーシア州議会選挙の結果は、PH-BNがペリカタン・ナショナル(Perikatan Nasional:PN)に精神的敗北(moral defeat)を喫したことで、このシナリオをさらに裏付けるものとなった。マレー系有権者をなだめるためにマレーシア政府がより保守的になるかどうかは、現時点では不明である。
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2023年マレーシア州議会選挙 —「統一政府」の展望—

ムハマド・タキユディン・イスマイル
(マレーシア国民大学政治学プログラム准教授)
2023年11月27日

背景

マレーシアは、アンワル・イブラヒム(Anwar Ibrahim)率いる「統一政府(unity government)」樹立のきっかけとなった2022年第15回マレーシア総選挙(General Election 15: GE15)から9カ月が経過した2023年8月、6つの州で議会選挙が実施された。これらの州議会選挙は、GE15と同時の選挙実施を控えた州で行われた。セランゴール(Selangor)州、ペナン(Penang)州、ヌグリ・スンビラン(Negeri Sembilan)州はパカタン・ハラパン=バリサン・ナショナル(Pakatan Harapan-Barisan Nasional:PH-BN)が政権を握っている。また、「マレー・ベルト(Malay belt)」として総称されるケダ(Kedah)州、クランタン(Kelantan)州、トレンガヌ(Terengganu)州の3州は、イスラム政党である パルティ・イスラム・セ・マレーシア(Parti Islam Se-Malaysia:PAS)と、統一マレー国民組織(United Malays National Organization:UMNO)の拡張政党であるベルサトゥ(Bersatu)からなるペリカタン・ナショナル(Perikatan Nasional:PN)が政権を握っている。

一般に、2023年マレーシア州選挙(Malaysian State Election: MSE)は、BN(UMNO主導の野党政党)と連立して成立したアンワル・イブラヒム統一政府の信任を問う選挙だと考えられている。中でも特筆すべきは、UMNOがGE15後に「No Anwar, No DAP (Democratic Action Party:民主行動党)」の原則を放棄したことで、政治評論家や支持者の間にシニシズムを引き起こしたことである。アンワルはその見返りとして、UMNO総裁でありかつての「子分」であったザヒド・ハミディ(Zahid Hamidi)を副首相に任命した。この人事はPH支持者には不評で、ザヒドは当時47件の汚職事件で係争中だったため、アンワル政権の特徴である反汚職政策の正当性を損なう結果となってしまった。さらに第10代首相アンワルは、より包括的で進歩的な社会概念であるマレーシア・マダニ(Malaysia Madani)を通じてマレー系有権者の支持を集めるという大きな課題にも直面している。MSE2023に先立って行われた世論調査では、マレー人の4人に1人しかアンワルのリーダーシップに満足していなかった。

MSE2023結果要約

PH-BNは、MSE2023の結果が中央政府の安定性に影響するというPN側の主張に反論したものの、この主張は必然的にPN支持者や有権者に影響を与えていた。その結果PNは、議席数の増加という道義的勝利(moral victory)を収め、PH-BNが勢力を誇っていた3州に大きく進出した。それでも、MSE2023の結果、州政府レベルでの政権交代は起こらず現状維持となった。表1は、2018年GE14と2023年MSEにおける全6州の議席獲得数を比較したものである。

表1 2018年GE14と2023年MSEにおける6州の議席獲得状況

14th GE 2018 MSE 2023
PH-BN与党州*
セランゴール 55/56 34/56
ペナン 35/40 29/40
ヌグリ・スンビラン 36/36 31/36
PN与党州
クランタン 37/45 43/45
トレンガヌ 22/32 32/32
ケダ 23/36** 33/36

* GE15後のPH-BN連立を考慮した総議席数
** 2020年のケダ州の政治協力を考慮した総議席数
出典:筆者作成

PH-BNにとって、全議席の3分の2を獲得できなかったセランゴール州は、最も悪い結果に終わった州となった。PH-BNは、ペナン州とヌグリ・スンビラン州では3分の2の過半数を獲得したものの、GE14と比較してペナン州で6議席、ヌグリ・スンビラン州では5議席をPNに奪われた。PNが与党であるすべての州では、マレー系有権者が多くを占めており、アンワル一家の地盤であるペナン州のペルマタン・パウ(Permatang Pauh)では、GE15においてPNが3議席を獲得している。

そして、マレーベルトに位置するクランタン、トレンガヌ、ケダの3州における選挙結果は、PH-BNにとってさらに不本意なものであった。マレー半島東海岸に位置し、PASの大黒柱であるクランタン州とトレンガヌ州では、PH-BNが政治的存在感を確立しようと試みたものの失敗に終わった。PH-BNは、清潔な水の配給問題を理由にクランタン州政府を激しく批判したものの、逆にこの批判は反発を招いたようだ。その結果、PASはクランタン州において45議席中43議席を獲得した。さらに隣のトレンガヌ州ではPASは32議席すべてを獲得し、野党を打倒して歴史的な勝利を収めた。

2020年の政治協力を通じてPASがケダ州の第一党になると、ケダ州は多くの注目を集め、PH-BNはケダ州においてわずか3つの議席しか確保できなかった。ケダ州におけるPASの勝利は、ケダ州首相であるサヌシ・モハマド・ヌール(Sanusi Mohd Noor)のカリスマ性に大きく依っている。PAS指導部の中でも重要な政治家であるサヌシ(批判者からは一般的に「マレーシアのトランプ」と呼ばれている)は、PNの選挙運動における重要人物であり、多くのPN支持者、特に若い世代は、サヌシの「自然な」キャラクターや「戦士のような」人物像に惹かれたのである。

PH-BNの何が問題だったのか?

政治オブザーバーやアナリストは、GE15においてPNが影響力を持ち、急激な勝利を収めた様子を「グリーンウェーブ」と表現し、現在でも使用し続けている。保守派連合はマレー系有権者を取り込むと同時に、PH支持者にも影響力を与えて投票の変更を促すことに成功した。アンワルは自身を全てのマレーシア人のリーダーとして見せようと努力したものの、マレー人の団結と宗教的訴求力の方が影響力が大きいようである。また、ムヒディン・ヤシン(Muhyiddin Yassin)元首相を含むベルサトゥの指導者たちは汚職告発に直面したものの、マレー系有権者の投票パターンが変わることはなかった。ムヒディンには、MSE 2023の結果判明の二日後に無罪判決が下ったが、アナリストによると、もし無罪判決が投票日前に下っていたならば、PH-BNが直面する状況はさらに悪化していたという。

UMNOは、MSE 2023で争われた108議席のうちわずか19議席しか獲得しなかったため、アンワルはマレー系有権者からの支持を得るにあたってUMNOの存在感の恩恵を受けていないと考えられる。その一方でザヒド・ハミディは、GE15後のUMNO総裁辞任要求にはなんとか抵抗した。そして2023年1月、UMNO総会は現実を直視するどころか、(訳註:同年5月に開催される党内選挙において)2つのトップポストについては選挙を行わないとする決議を通過させた。さらにUMNOは、親ベルサトゥ派とみられる幹部数人を除名する内部追放を行った。この時点で、市民レベルで不満が高まっていたにもかかわらず、ザヒドはまだ辞任を拒否していた。

また、UMNO-DAPの協力はPNによるキャンペーンを支援する形となった。UMNO幹部の中には、DAPとの協力成立後、DAPに対して謝罪的な態度をとる者もおり、マレー・イスラムの大義から逸脱していると非難する草の根の怒りを買った。そして多くのUMNO支持者が、UMNOに投票しないか、もしくはPNに投票することで抗議した。したがって、投票率が80%(平均は70%)を超える場合、PH-BNはさらに多くの議席を失う可能性がある。実際、PH幹部の中には、GE15と同時に州選挙を行わなかったことを後悔している者もいる。

一方で、与党として影響力を行使することで、PNの躍進を抑制するというPH-BNの使命は、やり過ぎだと考えられる。PH-BNは、過去にBNが行ったことと同様に、公務員の給与増額などの経済的・開発的インセンティブを与えることで有権者を納得させようとした。それにもかかわらず、事前の推測や現地情報筋によれば、警察、軍、教師を含む公務員のほとんどがマレー系イスラム教徒であり、彼らはPNに投票したという。アンワルはまた、選挙運動に政府のヘリコプターを使ったり、傲慢な発言をしたりしたことで激しく批判された。

さらに、PHがニュースポータルサイトや個人ウェブサイトのブロッキングを行ったことは、法的措置による脅しと並んで、自身への批判を鎮圧するために強制力を行使するPHの傾向を浮き彫りにしている。こうした行為によって、PHは野党や市民社会活動家から否定的に見られている。また、ケダ州首相のサヌシ・ムド・ノル(Sanusi Md Noor)に対する口撃は、投票日前夜まで続き、これは「やり過ぎ」の典型例である。アンワルを含むPH-BN指導者のほとんどは、選挙期間中、ケダ州を重要な拠点としていた。そして選挙戦の最中、サヌシは、自身の選挙演説の内容を理由に(訳註:治安法(the Sedition Act)に違反によって)午前3時に警察に逮捕された。このタイミングでの逮捕によってPHは大きな批判を浴び、PNは同情を集めることになったのである。さらに、サヌシを起訴するために治安法を利用したことは、古い法律は使わないというPHの姿勢と矛盾するものだった。

また、配水問題に関して、PH-BNがクランタン州に対して過剰に攻撃したことは、ブーメラン効果を引き起こした。クランタン州の有権者のほとんどは、より発展した州(セランゴールとクアラルンプール)で働いていたが、PH-BN支持者による「PASを支持し続ければクランタン人は毎日カプチーノが飲めるようになる」という嫌味に侮辱された。当然のことながら、PH-BNが「anak-anak perantauan(他州で生計を立てている人々)」に対して、出身州に戻って新しい州政府の成立に一票を投じるよう訴えたことは、評判が悪かった。より偏狭なクランタンの精神と政治文化に対する理解が不十分であったため、PH-BNのキャンペーンは効果的でなかったのである。

アンワルと統一政府、あなたたちはどこに行くのか?

PASとDAP(47議席中46議席を獲得)という2つの主要政党は、マレー系イスラム教徒(PAS)と華人(DAP)間の二極化を特徴づけている。この亀裂は、以前はBN-UMNOが担っていた中間層が存在していないことの表れである。2018年のGE14以降、マレー人は、UMNOをもはや「精神的守護者(psychological protector)」とは認識しなくなっており、GE15と2023年MSEにおいては、PNのような「代替的守護者(alternative protector)」を求めていた。

また、アンワル政権がマレー系有権者をなだめるためにより保守的になるかどうかについては、疑問が残る。マレーシア政府は以前、LGBTを象徴するレインボーフラッグをあしらったスウォッチの腕時計の販売を禁止した。また、MSE2023の2週間後、政府は学校でのハディス(hadith)モジュール(イスラム教徒以外の生徒は必修ではない)の導入を発表し、非イスラム教徒から批判を浴びた。改革派としての経歴に頼る首相として、市民社会組織に沿った制度的・構造的改革を実施し続けるアンワルの試みは、マレー系有権者からの反発を考慮すると、実を結ばないかもしれない。

アンワルは、野党のリーダーとしてではなく、首相としてふさわしい振る舞いを常に求められてきた。例えば、アンワルが選挙戦開始時期に、大学で学生に対して行った演説は、「非常に政治的」で「利己的」だと批判された。アンワル政権が発足してからの9ヵ月間は、包括的な経済回復よりも「イメージ作り」に重点が置かれてきた(例えば、評判は良くなかったものの、アンワルの半生を描いた伝記映画を公開した)。

現在のところ、アンワル政権は安泰であり、多数派を占めている。さらに、党籍変更禁止法(the Anti-Hopping Act)が施行されたことで、新たな政界再編は不可能となった。同様に、数名の政府メンバーが辞任するという噂も飛び交っている。マレー系有権者以外の支持と協力がなければ、PNは連邦政府を乗っ取ることはできないだろう。しかしながら、アンワルと統一政府は、GE16までの今後4年間、マレーシアの舵取りをするために、政治的バランスをうまくとり、道徳的な権限(moral authority)を行使していかなければならない。

【翻訳】
中野智仁(国際・公共政策大学院 修士課程)

プロフィール

マレーシア国民大学政治学プログラム准教授。研究関心は民主化、政治思想、大衆文化など。Pacific Review、Pacific Affairs、Asian Survey、Asian Journal of Political Science、Taiwan Journal of Democracy、Kajian Malaysiaなど多数のジャーナルに寄稿。2018年度国際交流基金フェローシップ生。 博士(Ph.D.)。