アメリカの偽情報対策が直面している問題
一田和樹
(明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員)
2023年9月1日
日本ではアメリカの偽情報対策は進んでいると考えられている。しかし、そのアメリカで偽情報対策は深刻な問題に直面している。なお、ここでは、海外からの情報戦、認知戦といったものへの対策も偽情報対策に含める。
なぜ、ファクトチェックや情報リテラシーは効果がないのか?
アメリカの偽情報対策が直面している問題の前に、その背景を説明しておきたい。
少なくない数の専門家と呼ばれる人がファクトチェックや情報リテラシーを偽情報対策あるいは情報戦対策の有効な手法と位置づけている。たとえば日本の総務省の「偽情報対策に関する総務省の取組について」に書かれている内容の多くはリテラシー向上に関するである[1]。
筆者は必要だとは思うが、有効とは考えない立場を取っている。
たとえば2020年のアメリカ大統領選では、ファクトチェックなどの対策が功を奏して偽情報や情報戦の攻撃を抑制できたという主張がある。しかし、2021年1月6日に起きたアメリカ連邦議事堂襲撃事件を見ると、そうとも言えない。偽情報対策が最終的に目指すものは、偽情報や海外からの干渉を暴くことではなく、それらが社会にもたらす悪影響を低減し、健全な情報環境を実現することにあるはずだ。アメリカ当局およびプラットフォームや非営利団体、メディアが行った対策は、表面上の問題を減らしたが、社会にもたらす悪影響を低減し、健全な情報環境を実現するにはほど遠かったことがわかる。
ファクトチェックや情報リテラシーの問題はそれだけではない。ファクトチェックは偽情報や情報戦の規模においつけない。なぜなら偽情報を作る方がファクトチェックするよりもはるかに短時間で簡単だからだ。
情報リテラシーを高めようとすることは過度な負担になりかねないだけでなく、バックラッシュを引き起こす可能性を含んでいる。精度の高い情報を求めるのはよいことのように思えるが、多くの情報源を探すことで、陰謀論などに遭遇する確率が増加する。またほぼすべての大手メディアは誤報などの問題を起こしたことがあり、そこを大きく取り上げた情報を目にすると、大手メディアへの信頼が下がり、その問題を指摘したメディアへの信頼が増加することにもなる。
また、既存の大手メディアには偏向があり、偽情報以上に人々の認識を偏らせるリスクがあることが統計的に確認されている[2]。我が国においてもHPVワクチンの安全性についての偏ったメディア報道によって、ワクチン接種率が大幅に下がるなどの問題を引き起こしている[3]。
今日、信頼できる情報を見つけることはきわめて難しい。探す過程で誤った情報を信じる落とし穴にはまるリスクも大きい。
また、多くの専門家は海外からの干渉に注目しているが、実際には国内(政治家、政党など)からの干渉の方が多いことがわかっている[4]。民主主義を守るという観点でも国内が重要である。我が国においても総務省の「プラットフォームサービスに関する研究会 最終報告書」(2020年2月)で事例としてとりあげられたもののほとんどは海外からの干渉であった[5]。また、新しく発足した日本政府の偽情報対策組織も海外からの干渉を対象にしている[6]。
後述するように、偽情報対策でもっとも重要なことは国内に偽情報が拡散する情報エコシステムを持たないこと、陰謀論などを信じやすい人々を増やさないことである。これは安全保障の観点からも同じである。
優先すべきは国内の情報環境を整備し、国家やメディアと国民の信頼関係を確立することであり、それなしにファクトチェックや情報リテラシーを訴えても効果は低く、時には逆効果となる。
アメリカの偽情報対策が直面しているのは、こうした基本的な対策を怠り、表面上の対策を優先したために起きている問題のひとつであり、アメリカを手本としている日本でも同様の問題が起きる可能性がある。
下院司法委員会から専門機関や専門家、大学への攻撃
現在、アメリカでは偽情報や情報戦などへの対策への批判が広がっている。専門家個人やシンクタンクなどの研究機関に対して、データ提供、議会召喚、告訴などが行われている。狙われているのは、デジタル・フォレンジック・リサーチ・ラボ(Digital Forensic Research Lab)を擁するシンクタンクである大西洋評議会(Atlantic Council)、ワシントン大学、スタンフォード大学、ニューヨーク大学、ジャーマン・マーシャル基金(German Marshall Fund of the United States)、市民権に関する全国会議(National Civil Rights Conference)、サンフランシスコのウィキメディア財団(Wikimedia Foundation)、オンライン偽情報を調査する会社グラフィカ(Graphika)など、いずれもこの分野を主導してきた組織だ[7]。特に狙われたのは、スタンフォード大学とワシントン大学が2020年の選挙の際に始めた選挙インテグリティ・パートナーシップ(Election Integrity Partnership)と、コロナに関する偽情報の監視を行うスタンフォード大学のバイラリティ・プロジェクト(Virality Project)だ。インターンで働いていたボランティア学生にまで情報提供を要請している[8]。
中心になっているのは下院司法委員会だ。アメリカには共和党と民主党という二大政党があり、アメリカの下院は共和党が多数を占めている。共和党は陰謀論との親和性が高く、党員の4人に1人が陰謀論のQAnon信者という統計もあるくらいだ[9]。また、2021年1月6日のアメリカ連邦議事堂襲撃事件の襲撃グループの行動は合法的であると採決している。彼らの主張によれば研究者たちとアメリカ政府の間には結びつきがあり、政府の要請に基づいて保守派の言論を抑圧してきたというのだ。SNSプラットフォームなどのテック企業もそれに協力してきたという。
この動きに右派メディアや団体、評論家などが同調し、批判が広がり、訴訟にまで発展したケースもある。共和党の偽情報対策への攻撃の苛烈さを示すのが、2022年4月27日に発表された偽情報対策のための諮問機関、国家安全保障局の偽情報ガバナンス理事会(Disinformation Governance Board: DGB)がわずか3週間で活動を停止したことだ[10]。そのDGBの元リーダーは、DGBに対する一連の反発そのものがDGBの必要性を物語っていると語っている[11]。
2023年7月4日にはルイジアナ州連邦地方裁判所のテリー・ドーティ判事(Terry Doughty)によって、バイデン大統領および当局がSNSプラットフォーム企業に検閲を強要したという判決がくだり、こうした「検閲キャンペーン」を防ぐために政府などの機関がSNSプラットフォーム企業や研究者などと接触することを禁じた[12]。幸いなことに7月14日に第5巡回区連邦控訴裁判所が停止を求めたことで接触禁止の命令は停止している[13]。バイデン政権はすぐに控訴し、現在も審議が行われている。下院司法委員会の活動はさらに司法長官や連邦捜査局(Federal Bureau of Investigation: FBI)長官に召喚状を発行し、調査活動を拡大している。
2024年大統領選において、政府、SNSプラットフォーム、研究者が連絡を取れない状態で迎えることになる可能性が生まれた。また、関係機関では偽情報対策に慎重にならざるを得ない状況に陥っている。現在行われている偽情報対策への攻撃は個人攻撃までも含んでおり、関係者とのメールのやりとりなどを開示させられることもある。それらの内容を踏まえたうえでの個人へのバッシングを考えると偽情報対策を研究することに尻込みしても不思議ではない。
また、メタ社(Meta)を始めとするSNSプラットフォーム企業には偽情報対策に関わる人員を解雇するなどの動きが出ている[14]。
偽情報対策の構造的な問題
偽情報や情報戦への対策は言論の自由など人権に関わる問題をはらんでいるため、批判が出てくるのは当然であり、健全とも言える。ただ、現在アメリカで起こっている批判は党派的な色合いが強い。批判の中心は共和党が多数を占める下院の司法委員会であり、政府とSNSプラットフォーム企業や研究者の接触について提訴したのも、判決を出したのもトランプが大統領だった時に任命した人物たちだ。そして、今回の批判に同調する人々はいわゆる右派が多い。
図1の陰謀論やナラティブを信じる人々は共和党に多いため、共和党は偽情報対策には批判的になりやすくなる。
図1 効果の薄い偽情報対策 国内の問題には触れずに済む範囲しか見ていない
出典:著者作成
アメリカに限らず、グローバルノースの多くの国ではQAnonを始めとする陰謀論や白人至上主義を信じる人が増加している。また、これらの人々と反ワクチンや反LGBT活動、親ロシアは重複することが多い。騙されやすい人々というのは簡単だ、現在の社会に対する不満が鬱積し、こうした形で現れてきていると考えた方がわかりやすい。現状の否定がさまざまな形をとってあらわれてきている。海外からの干渉でそうなったのではなく、もともと社会に不満を持っていた人々の活動が海外からの干渉によってより活発になったと考える方が自然だ[15]。
近年、各国に偽情報あるいは情報戦のオペレーションを代行する民間業者も増加しており、国内外のアクターの偽情報作戦を容易にしている。
国内の動きをコントロールできていなければ容易に海外からの干渉の影響を受けてしまう。この点でも国内の動きの方が海外からの干渉よりもはるかに重要なのだ。海外からの干渉を止めても、もともと国内にいる陰謀論のグループの活動がなくなるわけではないのである。
図2 陰謀論などのナラティブを増幅する情報エコシステム
出典:著者作成。
また、偽情報や情報戦は図2のような情報エコシステムになっており、陰謀論などの信者、アドテック、大手メディア、海外からの干渉、SNSプラットフォームが相互のメリットを共有する場となっている。ファクトチェックや情報リテラシーはこうした構造的な問題の解決には役に立たない。現在、ファクトチェックや情報リテラシー活動には、アドテックやSNSプラットフォームなどがスポンサードしており、資金源の問題もある。
海外からの干渉を食い止めたとしても、情報エコシステムの中で肥大化した国内グループはそのまま活動を続け、拡大する可能性がある。
表面的な事象に注目するのではなく、構造的に問題を整理し、そのうえで対策を考えなければ抜本的な解決にはいたらない。
結論
現在、アメリカで起きている偽情報対策への批判は同国の偽情報対策を大きく後退させる危険があり、すでに一部の組織や研究者では活動を抑制し、人員を削減する動きが出ている。偽情報対策に関する議論を行うことは健全だが、今回起きているのは共和党および右派による党派性の強い過激な行動である。
偽情報は海外からの干渉よりも国内勢力が行うことの方が多く、国内勢力に対する偽情報対策が優先されなければならない。アメリカ政府および研究機関などはこれを怠っており、その結果国内勢力から攻撃を受けることになっている。その結果、海外からの干渉への対策や研究にも支障が出てくることになりかねないリスクが発生している。
偽情報には個別の問題に対する対症療法は有効ではく、情報エコシステム全体をとらえた対策が必要である。
[1]総務省「偽情報対策に関する総務省の取組について」2023年5月23日。<https://www.soumu.go.jp/main_content/000882504.pdf> [2]Andrew C. Shaver, et al., “Media Reporting on International Affairs,” ESOC Working Paper No.27, 2021. <https://esoc.princeton.edu/WP27> [3]Diego A. Martin, Jacob N. Shapiro, and Julia G. Ilhardt, “Online Political Influence Efforts Dataset (Version 3.0),” Empirical Studies of Conflict Project, February 3, 2022. <https://esoc.princeton.edu/publications/trends-online-influence-efforts>*ページには2020年時点の説明しかないが、レポートをダウンロードすると2023年最新のものとなっている。その後もさらに更新されている可能性もあるので要確認。Meta, “Recapping Our 2022 Coordinated Inauthentic Behavior Enforcements,” December 15, 2022. <https://about.fb.com/news/2022/12/metas-2022-coordinated-inauthentic-behavior-enforcements/#:~:text=This%20year%20marked%20a%20major,our%20public%20reporting%20in%202017>; Samantha Bradshaw, Hannah Bailey and Philip N. Howard, “Industrialized Disinformation: 2020 Global Inventory of Organized Social Media Manipulation,” 2021, Oxford, UK: Programme on Democracy & Technology. <https://demtech.oii.ox.ac.uk/research/posts/industrialized-disinformation/> [4]Kenji Tsuda et al., “Trends of Media Coverage on Human Papillomavirus Vaccination in Japanese Newspapers,” Clinical Infectious Diseases, Vol.63 No. 12, December 15, 2016, pp.1634–1638. <https://doi.org/10.1093/cid/ciw647>; Masayuki Sekine, et al., “Suspension of Proactive Recommendations for HPV Vaccination Has Led to a Significant Increase in HPV Infection Rates in Young Japanese Women: Real-World Data,” The Lancet regional health – Western Pacific, vol. 16, October 21, 2021, <https://doi.org/10.1016/j.lanwpc.2021.100300>; Asami Yagi, et al., “The Looming Health Hazard: A Wave of HPV-Related Cancers in Japan is Becoming a Reality due to the Continued Suspension of the Governmental Recommendation of HPV Vaccine,” The Lancet Regional Health – Western Pacific, vol. 18, No.100327. December 13, 2021, <https://doi.org/10.1016/j.lanwpc.2021.100327>. [5]総務省「プラットフォームサービスに関する研究会 最終報告書」2020年2月。<https://www.soumu.go.jp/main_content/000668595.pdf> [6]「政府、偽情報対策で新体制 分析・対外発信を強化」『産経新聞』、2023年4月14日。<https://www.sankei.com/article/20230414-VG5SUB5AK5PPPJMG6TQ3F6ZB7Y/> [7]Andrea Bernstein, “Republican Rep. Jim Jordan Issues Sweeping Information Requests to Universities Researching Disinformation,” Pro Publica, March 22,2023. <https://www.propublica.org/article/jim-jordan-disinformation-subpoena-universities>; Steven Lee Myers and Sheera Frenkel, “G.O.P. Targets Researchers Who Study Disinformation Ahead of 2024 Election,” New York Times, June 19, 2023. <https://www.nytimes.com/2023/06/19/technology/gop-disinformation-researchers-2024-election.html>; Naomi Nix and Joseph Menn, “These Academics Studied Falsehoods Spread by Trump. Now The GOP Wants Answers,” Washington Post, June 6, 2023. <https://www.washingtonpost.com/technology/2023/06/06/disinformation-researchers-congress-jim-jordan/> [8] Steven Lee Myers and Sheera Frenkel, “G.O.P. Targets Researchers Who Study Disinformation Ahead of 2024 Election”, New York Times, June 19, 2023. <https://www.nytimes.com/2023/06/19/technology/gop-disinformation-researchers-2024-election.html> [9]PRRI, “The Persistence of QAnon in the Post-Trump Era: An Analysis of Who Believes the Conspiracies,” February 24, 2022. <https://www.prri.org/research/the-persistence-of-qanon-in-the-post-trump-era-an-analysis-of-who-believes-the-conspiracies/> [10]Nicole Sganga, “What is DHS’ Disinformation Governance Board and Why is Everyone So Mad about It?” CBC NEWS, May 6, 2022. <https://www.cbsnews.com/news/what-is-dhs-disinformation-governance-board-and-why-is-everyone-so-mad-about-it/> [11]Shannon Bond, “She Joined DHS to Fight Disinformation. She Says She Was Halted by… Disinformation,” NPR, May 21, 2022. <https://www.npr.org/2022/05/21/1100438703/dhs-disinformation-board-nina-jankowicz> [12]Michael Shear and David McCabe, “Ruling Puts Social Media at Crossroads of Disinformation and Free Speech,” New York Times, July 5, 2023. <https://www.nytimes.com/2023/07/05/us/politics/social-media-ruling-government.html>; Kevin McGill, Matt O’Brien and Ali Swenson, “Judge’s Order Limits Government Contact With Social Media Operators, Raises Disinformation Questions,” AP、July 5, 2023. <https://apnews.com/article/social-media-protected-speech-lawsuit-in.junction-d8070ef43b3b89e8e76b4569c77446d9>; Darrell M. West, “We Shouldn’t Turn Disinformation into a Constitutional Right,” The Brookings Institution, July 11, 2023. <https://www.brookings.edu/articles/we-shouldnt-turn-disinformation-into-a-constitutional-right/> [13]Cat Zakrzewski, “5th Circuit Pauses Order Restricting Biden Administration’s Tech Contacts,” Washington Post, July 14, 2023. <https://www.washingtonpost.com/technology/2023/07/14/5thcircuit-biden-socialmedia-stay/>; David McCabe and Steve Lohr, “Social Media Restrictions on Biden Officials Are Paused in Appeal,” New York Times, July 14, 2023. <https://www.nytimes.com/2023/07/14/technology/biden-social-media-order.html> [14]Cat Zakrzewski, Naomi Nix and Joseph Menn, “Social Media Injunction Unravels Plans to Protect 2024 Elections,” Washington Post, July 8, 2023. <https://www.washingtonpost.com/technology/2023/07/08/social-media-injunction-doughty-biden-2024-elections/> [15]一田和樹「陰謀論とロシアの世論操作を育てた欧米民主主義国の格差」『ニューズウィーク日本版』、2023年5月10日。<https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2023/05/post-46.php>
複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。近年はデジタル影響工作に関する著作が多い。