民主主義・人権プログラム
総選挙後における岸田首相の重責 −国内と世界政治における民主主義の推進
出版日2022年5月11日
書誌名Issue Briefing No.2
著者名尹在彦
要旨 2021年10月31日の総選挙では自民党が261議席を確保し、絶対安定多数を維持した。そのような中、著者は、絶対安定多数にある岸田政権が取り組むべき課題として、国内政治における民主主義の回復、および世界政治における民主主義促進のための現実的な外交政策実施の二つを指摘する。国内的には、森友・加計問題や桜を見る会を巡るスキャンダルなど、「報道の自由」に関する問題を改善する必要性を指摘している。また、国際的には岸田政権が「消極的な現実主義」から「現実的な積極的平和主義」に転じることで、国内政治と国際政治の双方において民主主義に貢献する可能性があると論じる。ひいては、これが国際社会における日本の威信の向上に繋がる可能性にも言及している。
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総選挙後における岸田首相の重責

−国内と世界政治における民主主義の推進

尹在彦

(渥美国際交流財団研究員)

2022年5月11日

 

本稿は、2021年11月16日にアジア民主主義研究ネットワーク(Asia Democracy Research Network)から出版された英文論考の和訳である。原文は以下にてアクセス可能:

http://adrnresearch.org/publications/list.php?cid=1&sp=%26sp%5B%5D%3D1%26sp%5B%5D%3D2%26sp%5B% 5D%3D3&pn=1&st=&code=&at=view&idx=215&ckattempt=2

なお、執筆時点での著者肩書は一橋大学大学院法学研究科特任講師、渥美国際交流財団研究員である。

 

 

岸田首相と前任者からの教訓

小渕恵三元首相の成功体験は、岸田文雄現首相を理解するためのレンズとして興味深い事例である。1998年7月の小渕首相の就任式は、有権者からの支持率が低いという点で岸田首相と似ているように思われた。小渕恵三は、(同じ派閥の平成研究会に属していた)橋本龍太郎元首相に似た政治的日和見主義から日本の政治アナリストに「冷めたピザ」と呼ばれたものの[1]、日本の政治舞台で穏健派政治家の成功例として記憶されるようになった。これは、自民党と公明党の連立政権を形成し、今日に至るまで(2009年の総選挙を除いて)野党を味方につける上で非常に有効であることや、隣国の韓国や中国との和解など、彼の政治・外交上の顕著な功績によるものである。小渕内閣の支持率は、1998年8月の24.8%から1999年10月の47.6%へと任期中にほぼ倍増した[2]

この「冷めたピザ」の成功事例がなぜ岸田新政権にとって意味があるのか。岸田首相は、同じ早稲田大学を卒業した前任者たちから特に教訓を得たと言われている[3]。岸田首相と小渕元首相は同窓生であるだけでなく、ともに早稲田大学雄弁会にも所属していた。しかし、早稲田大学OBの小渕元首相は脳梗塞で倒れ、就任2年足らずの62歳で死去し、政権は短命に終わっている[4]。早稲田大学出身の岸田首相の前任者たちは、野党や自民党内の政治的苦境や論争に対処しなければならなかった。

昨年9月の自民党総裁選の間、岸田氏は歴代総裁と同じく「穏健派政治家」と認識され、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)による危機、景気低迷、中国を中心とする東アジア外交など、日本が直面する諸問題を処理するための政治的ポテンシャルについては過小評価されることもあった。岸田氏の当選に対する「生ぬるい反応」は比較的低い支持率に表れており[5]、新首相の初入閣では通常支持率が高くなるのに対して、政治専門家の多くは岸田首相には「祝賀ムード」がないと断言した。さらに、自民党に強い影響力を持つ古参政治家のいわゆる「3A(安倍、麻生、甘利)」が決選投票で彼を支持したことにより、すぐに変化を期待すべきではないとの分析も見られた。10月に行われた第一次政権の組閣では、自民党年長者らに敬意を払おうとして影が薄くなってしまった。

しかし、10月31日に行われた総選挙では、自民党が261議席を獲得し衆議院で絶対安定多数を確保したため、国民の大多数が岸田内閣を承認したと見て良いだろう。自民党は15議席を失ったものの、連立を組む公明党は3議席の増加となった。いくつかのマスメディアによる世論調査では、自民党は単独過半数を割ると予想されていた。ところが、岸田氏の早期選挙実施という戦略が功を奏し、内政と外交のアジェンダを押し進める基盤を築いた。最初に首相に当選した時よりも、むしろ今の方が「第二の小渕」と呼ぶに相応しいだろう。

 

国内政治における民主主義の回復

岸田首相は絶対安定多数を維持しながら、直面するであろう二つの課題に取り組む必要がある。一つは国内政治における民主主義の回復、もう一つは世界政治における民主主義促進のための現実的な外交政策の実施である。この二つの課題は安倍・菅政権の遺産と関連しており、前者は10年近く見過ごされてきた。多くの日本人、特に政治家や政治学者は日本の民主主義に内在する深刻な問題を認識してこなかったが、日本の民主主義が後退してきていることがいくつかの指標から伺える。

エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(Economist Intelligence Unit)が毎年作成している民主主義指数では、日本は2010年に8.08ポイント(22位)を得て「完全な民主主義国」(full democracy)に格付けされていたものの、2019年には7.99ポイント(24位)となり「欠陥のある民主主義国」(flawed democracy)に格下げされ、総合評価が低下し続けている[6]。2020年には安倍前首相の辞任を受けて、日本の民主主義が再び「完全な民主主義」に格付けされた。森友・加計問題や桜を見る会など、一連の政治スキャンダルは安倍前首相に関係するものであるが、岸田首相を含む自民党幹部たちは詳細な調査のやり直しを否定してきた。

さらに深刻な問題は、国境なき記者団(Reporters Without Borders: RSF)が発表する「報道の自由」ランキングに見られる。安倍政権が発足した2012年以降、日本は常に50位以下の順位に甘んじているのである。2010年には上位20位以内(11位)にランクインしていたにもかかわらず、である[7]。国境なき記者団は日本政府に対して、フリーランスの記者及び外国特派員の記者会見や政府関係者へのアクセス制限を解除するよう継続的に要請している。しかし、これまでのところ政策的な変更はなされていない。

日本政治研究者のヘンリー・ローレンス(Henry Laurence)は、「安倍首相のメディアに対する戦争」を象徴するのが、2014年に制定された「特定秘密の保護に関する法律」だと指摘する。本法によれば、国家機密を漏らした者は最長で10年の禁固刑となり、そのような機密を公開した記者やジャーナリストは5年の禁固刑となるため、日本のメディアを含む報道機関が政府関係者と接触する報道の自由を損なうこととなった。ローレンスは「安倍首相は特にNHKに影響力を行使しようと威圧的だった」と観察し、短期的に状況が改善されるとは思っていなかった、と付け加えている[8]。それゆえ、2020年7月にニューヨーク・タイムズ紙(New York Times)が香港のデジタルニュース部門を東京ではなくソウルに移転するというニュースが報じられた際も、日本社会はほとんど驚かなかった[9]

前述のように自民党の政治家の中で安倍前首相は盟友の一人であるため、岸田首相にとってこの種の国内政治問題を処理することは困難である。安倍元首相の決断に逆らうことは、岸田首相にとって「政治的冒険」を意味する。しかし自民党が絶対安定多数を維持する状況では、岸田首相には日本国内における民主主義回復のための政治的余地があり、二つの政治スキャンダルの再捜査を指示する上で大きな役割を果たす可能性がある。

もちろん、そのような指示には重大な政治的リスクが伴う。これはシンプルで容易な判断ではないものの、日本の有権者が前任者の問題に対処することを求めるのであれば、選挙直前よりも今後このような決断がなされる可能性は高い。2020年12月に朝日新聞が行った調査によると、有権者の75%が安倍晋三元首相は桜を見る会を巡るスキャンダルへの関与について国会の公聴会で説明すべきであると考えている[10]。2021年10月に共同通信が発表した別の調査では、「新内閣に安倍・菅両首相の遺産を引き継いでほしくない」とする回答が69.7%に達している[11]。民主主義の回復過程は、世界、特にアジアにおける民主主義の推進という点で、現実的な外交政策と密接に関連している。

 

アジアにおける民主主義推進で日本が果たす役割

岸田首相は前任者の外交的遺産を引き継ぐと宣言しており、これは安倍(及び菅)元首相が提案したアジェンダが引き続き展開されることを意味している。岸田首相が外務大臣を務めていた2013年12月に安倍政権が発表した国家安全保障戦略と防衛計画の大綱の二つは[12]、日本の外交政策の「転換点」として認識されている。この国家安全保障戦略において日本政府は、「理想主義的平和主義」から「積極的平和主義」を新たなアジェンダにすることを宣言している。地域や国際社会の安定を高めるために日本が外交政策に求める価値観は、民主主義、人権、法の支配であり、一方で防衛費のGDP 1%上限といった軍事的制約を緩和することである。このように、日本は「新しい外交的現実主義」に向けて走り始めたと言える[13]

アジア太平洋地域の大きな変化は、新しい枠組みである「自由で開かれたインド太平洋戦略」(Free and Open Indo-Pacific strategy)と、その強化版でアメリカ、オーストラリア、インド、日本からなり、中国の脅威に対抗して安全保障と経済の連携を高める日米豪印戦略対話(通称クアッド)である。正式な同盟ではないものの、日本は四ヵ国の民主的アイデンティティを強調している。2020年11月、四ヵ国の海軍は過去10年以上で初めての合同演習に参加した。2021年3月には事実上のクアッド会議が開催され、四ヵ国首脳は新型コロナウィルスワクチン、気候変動、技術革新、サプライチェーン強靭性に関するワーキンググループを設置することに合意した。グラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)で国際舞台にデビューした岸田首相は、炭素排出ゼロへの道を歩むアジア諸国を支援するために、5年間で最大100億ドルの資金を提供すると約束した[14]。これは、岸田派(宏池会)本来の自由主義的な立場から来るものだろうが、国際協力の推進に貢献しようという確固たる意志を示すものである。岸田首相は国際社会における自身の役割をよく認識しているように思われる。

しかし、アジアの民主主義の一翼を担う日本は、例えば、香港とミャンマーのようにアメリカが習近平国家主席とミャンマー軍事政権の両者に暴力の沈静化を警告した時でさえ、この地域の独裁政権から民主主義の崩壊を阻止することはできなかった。このような警告や改善努力は、意味のある変化をもたらすことなく徒労に終わった。それでも日本のメディアでは、特にミャンマーの場合に、日本がミャンマー国軍に対して独自の「パイプ(ミャンマー国軍のカウンターパートと意思疎通するルートを持つ仲介人)」を有しており、すぐに妥協が成立するのではないかという楽観論が聞かれた。しかし結果として、日本はこのような人道的危機に対処することができず、暴力はより深刻なものとなっていった。2021年8月には、マスコミに「パイプ」と称された人物が、ミャンマーの軍人は民主主義を理解しており、今回の事件はクーデターではないと強調したが[15]、悲惨な現実に照らし合わせれば説得力がないように思われる。

香港問題は、中国の根本的な政治体制と結びついているため、ミャンマー以上に深刻かつ複雑である。そして、経済協力の面でも中国は日本にとって最も重要な相手国の一つである。日本のマスコミが「民主の女神」と呼ぶ象徴的な存在の周庭は、昨年、北海道大学に研究員として向かう予定であったが、香港の法執行機関による捜査と投獄のためにその夢はかなわなかった。日本が留学生として、あるいは「政治難民」として日本への入国を援助しようとしたかどうかは不明だが、北京で「香港国家安全維持法」が制定されて以来、彼女は一度も香港から出たことがない。彼女はいつも日本語でツイートをしているが、助けを求める声は届かなかった。

 

国際社会で日本の威信を高めるには

日本が国内外で民主主義を維持・促進することは、紛れもなく重荷であり、多額の資金を費やしたり、軍隊を派遣したりすることだけでは問題に対処することは不可能に近い(間違いなく、後者は他の民主主義国と比べて、日本にとって全く簡単な判断ではないだろう)。昨年8月のアフガニスタン・カブールにおける大きな挫折がそれを裏付けている。したがって、もしも日本の新たな現実主義がアジアで民主主義を促進するという核心的価値観を持ちたいのであれば、岸田首相は民主主義的価値の危機を外交的かつ平和的に解決し、軍事的手段に頼らない「現実主義的さ」を明確に示す必要がある。このことは、「(軍事同盟におけるより積極的な役割に言及しつつも)消極的な現実主義[16]」が「現実的な積極的平和主義」に転じ、国内政治と国際政治の双方において民主主義に貢献する方法になり得ることを示唆している。これは日本の威信を高めることに繋がるだろう。

 


[1] Stephanie Strom, “Cold Pizza Hits the Spot in Japanese Politics,” The New York Times, July 23, 1998.

[2] 「小渕内閣支持率の推移」、中央調査社。https://www.crs.or.jp/backno/old/No506/5062.htm.

[3] 「(岸田文雄研究)『自分は石破政権の次』 安倍氏に仕込まれた苦悩」『朝日新聞』2021年10月7日。

[4] 在職日数はそれぞれ石橋湛山首相が65日、竹下登首相が576日、海部俊樹首相が818日(最長)、小渕恵三首相が616日、森喜朗首相が387日、福田康夫首相が365日、野田佳彦首相が482日である。

[5] 岸田政権への支持率はそれぞれ朝日新聞調査で45%、NHKの調査で49%、読売新聞調査で56%、日経新聞調査で59%、産経新聞調査で63.2%であった。

[6] Economist Intelligence Unit, Democracy Index, https://www.eiu.com/n/campaigns/democracy-index-2020/.

[7] RSF, Japan, https://rsf.org/en/japan.

[8] Henry Laurence, “After Abe, Will Press Freedom Improve in Japan?” The Diplomat, October 10, 2020, https://thediplomat.com/2020/10/after-abe-will-press-freedom-improve-in-japan/.

[9] Michael M. Grynbaum, “New York Times Will Move Part of Hong Kong Office to Seoul,” The New York Times, July 14, 2020.

[10] 「安倍氏の国会説明『公開の場で』70% 朝日世論調査」『朝日新聞』、2020年12月21日。

[11] 「岸田内閣支持率、55% 『安倍・菅路線転換を』69%」共同通信、2021年10月5日。

[12] Alexandra Sakaki, “Japan’s Security Policy: A Shift in Direction under Abe?” SWP Research Paper, March 2015, pp.16-17, https://www.swp-berlin.org/publications/products/research_papers/2015_RP02_skk.pdf.

[13] Michael Auslin, “Japan’s New Realism: Abe Gets Tough,” Foreign Affairs, March/April 2016, https://www.foreignaffairs.com/articles/japan/2016-02-16/japans-new-realism.

[14] Isabel Reynolds, “Japan’s Kishida Pledges Up to $10 Billion in New Climate Finance,” Bloomberg, November 2, 2021.

[15] 織田一「政変をクーデターと認めぬパイプ 記者が感じた国家主義」『朝日新聞』2021年8月24日。

[16] Michael J. Green, Japan’s Reluctant Realism: Foreign Policy Challenges in an Era of Uncertain Power (New York: Palgrave Macmillan, 2003).

 

【翻訳】
鈴木涼平(一橋大学大学院法学研究科 博士後期課程)

プロフィール

渥美国際交流財団研究員。延世大学校で社会学と経済学を学んだ後、毎日経済新聞社で記者として働く。一橋大学にて博士号を取得。専門は東アジア、特に日本と朝鮮半島の国内政治、外交政策、メディア。