民主主義のための世代を超えた抵抗運動 - ミャンマー軍事政権に対する3世代の抵抗
聞き手・著者: ニン・テ・テ・アウン
(一橋大学国際・公共政策大学院修士課程)
2024年9月4日
*本稿は、2024年3月11日に行われたインタビューをもとに作成された。
日本を拠点に活動するミャンマー人活動家であるタン・ゾー・ター氏(Thant Zaw Htet)は、ミャンマー情勢を日本社会に発信する役割を担い、ミャンマーの運動で活躍している。タン氏はヤンゴン地方を起源とするラカイン族とビルマ族の血を引く。グローバル・ガバナンス研究センター(Institute for Global Governance Research: GGR)は、在日ミャンマー人活動家のダイナミックな経験を明らかにするために、タン氏へのインタビューを行った。
2006年、タン氏は父親と再会するために日本へと渡った。実に19年ぶりの再会だった。タン氏の父親は1988年の民主化運動に電力省の公務員ながら参加し、その後日本に逃れてきた。「父がミャンマーから逃がれたとき、私はまだ2歳でした。ミャンマーの入国管理局のリストから父の個人識別番号が削除されたため、私が日本で父と再会するまでに19年もかかりました。父が1988年の民主化運動に参加していたため、私はミャンマーにいる間、国民識別番号を持つことができませんでした。母と私は入国管理局に行くたびに、父の識別番号について尋ねられました。しかし申請書に父の情報を記入することはできませんでした」と、タン氏は振り返った。タン氏の父親は、ミャンマー国民であるにもかかわらず国民識別カードを所持することができなかった。ミャンマー人の基本的人権がいかに侵害されているかを物語っている。
インタビュー中、タン氏は政治活動へのきっかけとなった父親について何度も言及した。「正直なところ、以前はミャンマーの政治に関わってはいませんでした。でも日本に来てから、日本ではミャンマー軍政を批判する人が多いことに気づきました。また、父が私に、来日した政治家と親しくさせてくれたので、たくさん学ぶことができました」と彼は語った。ミャンマー政治の話になると、2010年、2012年、2015年、2020年、それぞれの政治への向き合い方を振り返った。「軍によって起草された2008年憲法に反対する日本の運動に参加しました。そのため2010年、2012年の補欠選挙、そして2015年の総選挙では投票しませんでした。たとえ、アウン・サン・スー・チー氏(Aung San Suu Kyi)を支持していても、2008年憲法下の選挙を受け入れることはできません。同じように、日本にいる他の民族の人々の中にも、アウン・サン・スー・チー氏が憲法を改正できないと考える人もいます。しかし2020年の選挙では、民主主義の発展を求め、私たちは国民民主連盟(National League for Democracy)に投票しました。ところが残念なことに、選挙で選ばれた国会議員が召集される前に軍事クーデターが起こり、民意がないがしろにされたのです。」彼の経験から、人々が2008年憲法の存在を認めない一方で、いかに2020年の選挙結果に希望を託したか、そしてその希望がいかに軍事クーデターによって打ち砕かれたかがよくわかる。
タン氏は父親がきっかけとなって政治活動を始めたが、タン氏自身もまた自身の娘に対し、父親と同じような役割を果たしている。ミャンマーについて学ぶ機会を与え、そこで起きていることについて情報を広めるように、娘を導いている。「娘は日本で生まれ育ちました。今は中学生です。ミャンマーの文化や食べ物、民主的な指導者たちについて、いつも話しています。娘にとっては学校での発表にも役立っているようです。父と私は政治的な活動をしているので、娘はミャンマーで何が起きているのか、なぜ私たちがミャンマー問題に取り組んでいるのかを理解してくれるようになりました。」祖父の代から父、そして孫娘へと、ミャンマーの人々は3世代にわたって独裁政権に対して抵抗を続けています。タン氏の話は、永続する抵抗を浮き彫りにしている。
軍事クーデターへの対抗、国内避難民に対する援助の提供、そしてミャンマーにおける現在進行形の状況についての認識の向上などのさまざまな取り組みについて議論する中で、彼は自身の関わりについて説明した。「私は『Revolution Tokyo Myanmar(RTM)』の創設メンバーの一人です。私たちのグループは2021年5月9日に中野駅前で結成され、草の根運動を始めました。私たちの目的は主に2つあり、まず日本政府が軍事政権を支援するのを阻止することと、そしてミャンマー人ディアスポラと日本のコミュニティの両方から支援を集めることです。資金集めだけでなく、詳細な情報が記載されたパンフレットを配布し、ミャンマーの窮状に光を当てようと努めています。集団で取り組むことで、危機の影響を受けた人々の声を強め、国内外での連帯を促そうとしています。他の人たちからの寄付に加え、私はミャンマーのディアスポラの一員として、定期的に寄付をしてきました。」
私たちの目的は主に2つあり、まず日本政府が軍事政権を支援するのを阻止することと、そしてミャンマー人ディアスポラと日本のコミュニティの両方から支援を集めることです |
インタビューの最後に、タン氏はミャンマーの人々への惜しみない支援に対し、日本の人々に感謝の意を表した。ミャンマーの人々は、現在も人道危機に苦しみ、軍事政権に対して抵抗を続けている。「日本の人々、特にミャンマーを支援するために協力を呼び掛けてくださった人々には、感謝してもしきれません。この危機的な状況において、私は日本の皆さんに、自分たちの税金がどのように配分されているのかをよく見ていただくように強くお勧めします。軍事政権は国民に対し、殺害、民家への放火、村落への空爆といった残虐な行為を行っています。政府開発援助(Official Development Assistance: ODA)が、そのような軍事政権を援助しているかもしれないと理解することは極めて重要です」と強調した。ミャンマー情勢に関する正確な情報収集について、タン氏は、「日本在住のミャンマー人活動家として、私は日本政府に対し、ミャンマーで進行中の出来事について、積極的に現地レベルの情報を収集することを提案したいです。仮に日本政府がそのように動けば、民主主義を取り戻そうとするミャンマー国民の歩みに対して間違いなく助けとなります。」
【日本語翻訳】
熊坂 健太(一橋大学国際・公共政策大学院修士課程)
岸 晃史(一橋大学法学部学士課程)
中島 崇裕(一橋大学大学院法学研究科修士課程)
家族と日本に住む会社員。2003年にタンリン工科大学(Thanlyin Technological University)で機械工学を学び、2006年に来日。軍事クーデター後の2021年には、Revolution Tokyo Myanmar (RTM)に参加。2021年の軍事クーデターから現在に至るまで、ミャンマー国民統一政府日本代表部に所属している。