ミャンマー活動家の回想 ―祖国のために日本での苦難を乗り越え、レジリエンスを育む
聞き手・著者: アウン ニン テ テ
(一橋大学 国際・公共政策大学院 修士課程)
2024年7月1日
*この論文は、2024年3月1日に実施されたインタビューをもとに作成された。
グローバル・ガバナンス研究センター(Institute for Global Governance Research:GGR)は、日本におけるミャンマー・ディアスポラのダイナミックな経験を解き明かすべく、ミョー・ミン・スウェ(Myo Min Swe)氏にインタビューを行った。この調査は、ミャンマー国民の総意に反して容赦なく強行された軍事政権との闘いが続く状況と、日本在住のミャンマー人活動家の支援と活動という文脈の中で展開されている。
ミルクティー同盟日本の一員であるミョー・ミン・スウェ氏は、日本在住のミャンマー人活動家が直面する課題と機会に積極的に取り組んでいる。ヤンゴン地方出身でバマー民族に属するミョー氏は、日本におけるミャンマー人コミュニティの独特な経験に光を当てる。在日ミャンマー・ディアスポラの一員として、18年にわたる実体験をもとに、深い洞察を提供してくれた。
2005年に来日したミョー氏は、それまで政治的な問題に関与したことはなかった。ネットワーク工学の分野に興味を持ち、日本で正社員として働くことを目指し、大学に入学しネットワーク工学を専攻した。「大学卒業後はサラリーマンになるつもりでした。しかし、2007年にミャンマーで起きたサフラン革命(政治的・経済的抗議行動)を支援するため、日本での活動や運動に没頭した結果、残念ながら大学を中退せざるを得ませんでした。その間、私たち在日ミャンマー・ディアスポラは、すべての政治犯の釈放、軍事政権が採択した2008年憲法の廃止(この憲法では、議会の25%の議席が現役軍人に割り当てられた)、内戦の終結などを求めて国連大学や在日ミャンマー大使館の前で抗議集会を行いました。」彼は、当時の状況を説明し、ミャンマーの政治情勢と若い在日ミャンマー・ディアスポラの経験を反映するような洞察を提供した。また、彼は2007年という年を、「私を平凡な若者から活動家へと進ませた転機となる年であり、この変化は、祖国における民主主義と人権の促進に対する、私の強い願望を後押ししました」と語った。ミョー氏の明瞭な言動は、彼の断固とした動機を明らかにする一方で、学業への未練による心の痛みを物語っているようだった。
「大学を卒業することはできませんでしたが、ミャンマーの学生活動家たちの活動や教育に関する支援は怠りませんでした。私は社会にとって教育が最も重要であると認識しており、学生活動家は、人権と民主主義を擁護し、より良いミャンマーを育むことができる未来のリーダーなのです。そのため私は、他の在日ミャンマー・ディアスポラと共に、学生活動家だけでなく、孤児院やHIV/AIDS患者のためのセンター、その他同様の目的のために資金を集めるグループ「We for All」を設立しました」と彼は説明し、祖国を離れて暮らす若者たちの驚くべき回復力と、強い精神力を明らかにした。この試みは、ミャンマーで民主化と人権のために闘う若者たちへの深い配慮を反映している。
振り返ると、ミョー氏は2015年のミャンマーへの選挙監視団を調整する際に、重要な役割を果たしたことを鮮明に覚えている。この歴史的な事業において、彼は日本の国会議員の参加を促し、ミャンマーの軌跡における変革の瞬間を観察する機会を提供した。アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(National League for Democracy:NLD)が圧勝し、50年にわたる軍事政権に終止符を打った。「NLD政権下の5年間、私たちは東南アジア諸国連合(Association of South‐East Asian Nations:ASEAN)の国々、特に日本との外交・経済関係の改善など、ミャンマーに前向きな変化が見られました。こうした改善に刺激され、私たち夫婦は、日本で得た知識と経験を祖国のために役立てたいと考え、帰国を決意しました。残念なことに、2021年の軍事クーデターは私たちの夢を壊し、祖国の明るい未来への希望を打ち砕きました」と彼は嘆いた。
最後に、ミョー氏は「私は日本政府がビルマの人々の声に耳を傾け、人道支援を行うことを強く求めます。国民統一政府(National Unity Government of Myanmar:NUG)との関係を確立し、積極的に政治に参加し、軍への政府開発援助(Official Development Assistance:ODA)による資金援助を停止することが重要です。ターゲットを絞った経済制裁の実施と人道支援の提供が不可欠です」と述べた。続けて、「私からの日本の皆様へのメッセージは、クーデター以来、ミャンマーの民主化運動に対する揺るぎない支援に対する感謝の念です。署名活動への参加や様々な形でのミャンマー支援など、多様な形での関わりに深く感謝しています。」
私は、日本政府がビルマの人々の声に耳を傾け、人道支援を行うことを強く求めます。国民統一政府NUGとの関係を確立し、積極的に政治に参加し、軍への政府開発援助(Official Development Assistance:ODA)による資金援助を停止することが重要です。ターゲットを絞った経済制裁の実施と人道支援の提供が不可欠です。 |
「それから」と言い、「私は日本の方々に、日本政府が民主化勢力と協力し、ミャンマー問題に取り組むミャンマー国民を支援するよう呼びかけたいと思います」と彼は訴えた。これらの要求を検証することで、多様な民族を代表するミャンマー・ディアスポラや活動家たちが、ミャンマーの文脈の中で民主主義と人権の促進に向けていかに熱心に活動しているかが明らかになる。彼らの活動を精査することで、彼らの目指すミャンマーの姿を垣間見ることができる。
【日本語翻訳】
熊坂 健太 (一橋大学 国際・公共政策大学院 修士課程)
渡邉 英瑠 (一橋大学 国際・公共政策大学院 修士課程)
留学生として来日し、現在は社会人として働きながら民主化活動に参加している。2007年にミャンマーで勃発したサフラン革命をきっかけに民主化活動に専念。2021年2月1日の軍事クーデター以降、独裁的な軍事体制を廃止し、ミャンマーに連邦民主国家を実現するために活動を続けている。2022年6月、NPO法人「We For All」を設立。街頭募金活動やチャリティーイベントなどを通じて、ミャンマーの国内避難民を支援している。当団体は、クーデターを起こした暴力的なミャンマー軍に強く反対し、日本政府を含む国際社会がNUGを承認し、ミャンマー国民を支援するよう働きかけている。人権と自由を保障する連邦民主国家を目指し、今後も闘い続ける。