民主主義・人権プログラム
アジアからの警鐘 ー揺らいでいるとはいえ、米国の民主主義はその経験を活かしてアジアの民主派を支援できる
出版日2022年7月2日
書誌名GGR Issue Briefing No. 4
著者名市原麻衣子、リン・リー(Lynn Lee)
要旨 アジア地域の安定化要因として貢献してきた民主主義とルールに基づく秩序が脆弱になっており、共通の規範と価値を維持する地域的多国間枠組みの必要性が高まっている。こうした認識を受けて発足した枠組の一つが、1.5トラック・アプローチを目指す「サニーランズ・イニシアティブ(Sunnylands Initiative)」である。これを効果的なものとするためには、アジア諸国は当事者意識を高める必要がある。
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アジアからの警鐘

ー揺らいでいるとはいえ、米国の民主主義はその経験を活かしてアジアの民主派を支援できる

市原麻衣子、リン・リー(Lynn Lee)

2022年7月2日

 

本稿は、2021年3月10日にアメリカン・パーパス(American Purpose)誌から出版された英語論文の日本語訳である。原文は以下にてアクセス可能:

https://www.americanpurpose.com/articles/asias-wake-up-call/?fbclid=IwAR0diA6C6w5mA3tQmpNN5W0Ofpj6c6wLoC98MGgYmq4gpOUk_VYY7OckHJU

 

 

米国は第二次世界大戦以降、海外においては対外援助や技術支援を通じて民主主義を支えることで、そして国内においては市民権や人権を巡って進展を見せて模範を示すことで、民主主義の推進において世界をリードしてきた。しかし、過去4年間は異なっていた。米国の民主主義制度は弱体化を続け、民主主義指数の上での評価は急落し、米国民主主義の後退が世界に与える影響が論じられるようになった。

ただし、こうした動きにはプラスの側面もある。他の民主主義国家同様米国がこれらの問題に直面しているという事実は、人権と民主主義の原則に関心を持つ国際社会のすべての人々に警鐘を鳴らしているのである。この4年間に米国が経験した出来事は、過去10年間にメディアが警告してきた民主主義の後退よりも強力なインパクトを与えている。昨年だけでもアジアでは、米国における出来事を詳細に追うなどして、世界的な民主主義の危機に関する報道が急増した。政治学の学会は、リベラル国際秩序への脅威に関するものなど、この分野の研究で溢れかえっている。

こうした関心の高まりは、世界的危機の解決には集団的な対応が必要であり、それには米国を含む多国間パートナーシップの成功が不可欠であることを、アジアの民主派に再認識させた。

権威主義の影響力が世界的に増大する中で、民主主義の回復と擁護のためのパートナーシップは非常に重要である。中国とロシアは、パンデミックと米国大統領選挙をめぐる混乱に乗じて、民主主義の規範と価値に対する攻撃をはじめとする国際的な情報戦を展開している。例えば中国のプロパガンダ機関は、米国で新型コロナウィルス感染症が蔓延したことについて、民主主義体制が権威主義体制に対して優位性を持たないことの表れであると論じている。こうしたプロパガンダは、オーストラリア、フィンランド、ニュージーランド、ノルウェー、韓国、台湾などの民主主義国がパンデミックを抑制することに相対的に成功しているという事実から人々の注意を逸らすものである。

中国は過去10年間、人権についての考え方を自国の利益に沿って作り変えるべく、様々な手段を講じてきた。2017年12月の南南人権フォーラムでは中国共産党は、信教の自由は文化的同化を伴う場合にのみ可能であると主張した。国連人権理事会をはじめとする国際機関で中国が存在感を高めてきたことで、中国の言説が拡大し自由主義的価値の再解釈が後押しされる可能性が高い。2020年7月に国連人権理事会が香港国家安全維持法について中国支持と中国批判の二つの相反する声明を発表した際には、より多くの国が「中国支持」の声明に署名している。

 

多くの懸案

民主主義を弱体化させようとする中国の試みは、民主主義の擁護が特に困難に直面しているインド太平洋地域で活発である。欧州やアメリカ大陸とは異なり、アジアでは民主主義に対するコンセンサスが存在したことがない。東アジアの民主主義国は、儒教を源流とする文化に基づき、伝統的に政府と市民の間に存在する垂直的関係を前提とする傾向がある。各国政府は、安定志向の政策がアジア的価値に合致していると主張することで、国内の権力構造を維持してきた。反植民地主義の影響を受けた南アジアや東南アジアには、欧米が自由主義的価値を強調するのは文化的帝国主義的であると批判する政府も存在する。

このような言説のために、アジア社会にも市民的自由の擁護を求める弱者や社会から取り残された人々がいるという事実が軽視されてきた。その結果、アジアの政府は危機や災害を利用して権力を拡大し、監視を強化し、民主活動家、野党政治家、ジャーナリストを弾圧することが可能になっている。アジア地域、特に南アジアと東南アジアが、新型コロナウィルスのパンデミックの最中に世界で最も深刻な民主主義の後退を経験したことも不思議ではない。

このような文化的傾向と歴史的遺産により、同地域の多国間枠組みは民主主義擁護の点で脆弱な状態が続いている。たしかに2000年代末以降、アジアの民主主義を推進する多国間枠組みには多くの進展があった。バリ・デモクラシー・フォーラム(Bali Democracy Forum: BDF)、ASEAN政府間人権委員会(ASEAN Intergovernmental Commission on Human Rights: AICHR)、そしてオーストラリア、インド、日本、米国による日米豪印戦略対話(Quadrilateral Security Dialogue、通称「クアッド」)などがそれにあたる。ASEAN憲章、南アジア地域協力連合(South Asian Association for Regional Cooperation)民主主義憲章、ASEAN人権宣言など、これらの価値観を具体化するために採択された憲章や宣言もある。こうした文書は、たしかに自由、人権、法の支配、民主主義の価値を支持している。

しかし、これらの取り決めには、民主主義を支援ないし擁護するために必要な運用メカニズムが備わっていない。地域機構がアジアにおける民主的価値の深刻な劣化を非難することはほとんどない。AICHRでさえ、各加盟国に拒否権を認めているため、加盟国における人権侵害から人々を守る能力が阻まれている。さらに、自由民主主義と普遍的価値を積極的に擁護する非政府組織は、これらの取り決めでは承認されていない。

こうした問題は、同地域の国々が抱える地政学的な緊張感によってさらに深刻化している。アジア諸国は、中国が民主主義や人権に与える悪影響を懸念する一方で、地域の超大国としての同国との関係悪化を望んではいない。アジア諸国はいずれも、中国と強い経済的結びつきを持っており、同国と国境を接している国も少なくない。バリ・デモクラシー・フォーラムのメンバーには権威主義国が含まれており、議論の中身が空洞化している面もある。ASEAN諸国は、日米がクアッドの一環として推進する「自由で開かれたインド太平洋」構想に対して、反中国的なメカニズムであるとの警戒感を持っている。そのため、代替的にインド太平洋に関するASEANアウトルック(ASEAN Outlook on the Indo-Pacific)を独自に打ち出し、クアッドから距離を置きつつ民主的なガバナンス規範を支持しようと試みている。

 

行動の転換

米中対立からデカップリングがはじまったトランプ政権期には、アジア諸国のほとんどは超大国間の対立から距離を置いた。この流れは、同地域における民主的規範を強化するためのパートナーシップ構築を困難にしている。地域的な人権と民主主義の取り決めに賛同を示すことを躊躇していたアジアの民主派アクターや関係者も、地域の安定を維持してきた民主主義とルールに基づく秩序の脆弱な現状に関して、近年、これまでにないほどの強い危機感を抱いている。その結果、リベラル国際秩序の崩壊を懸念する人々の間における対話を促進し、共通の規範と価値を維持するための地域的プロセスを促進する多国間枠組みを発展させる必要性が認識されるようになった。

こうした意識の高まりが結実したものの一つが、サニーランズ・イニシアティブ(Sunnylands Initiative)である。これは2019年に全米民主主義基金(National Endowment for Democracy)、戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies)、アネンバーグ財団評議会(Annenberg Foundation Trust)がウォルター・アネンバーグ(Walter Annenberg)の旧邸であるサニーランズで発足させたもので、米国とアジアの指導者を集め、インド太平洋における自由主義規範の保護と民主主義の擁護を拡大し、こうした地域的イニシアティブを阻害してきた問題に共同で取り組むことを目的としたものである。2020年7月、同会議は「インド太平洋地域における民主的パートナーシップの強化に関するサニーランズ原則(Sunnylands Principles on Enhancing Democratic Partnership in the Indo-Pacific Region)」を発表し、最初の原則を打ち出している。

サニーランズのフレームワークには、大きく4つのポイントが含まれる。第一に、民主主義規範の擁護に対するコミットメントを表明している点である。ASEANやバリ・デモクラシー・フォーラムには権威主義的な政府が参加しているため、民主主義の原則を重視する姿勢が弱い。同様の問題に陥らないよう、サニーランズ・イニシアティブは共通の民主主義原則を重視している点を強調している。

第二に、自国の外交政策コミュニティと強固な関係を保持する元政府高官や著名な市民社会メンバーを巻き込むことを目的としている。アジアには既に、アジア・デモクラシー・ネットワーク(Asia Democracy Network)のような国境を越えた市民社会ネットワークが存在する。しかし、この地域に欠けているのは、人権や民主主義の問題に関して市民社会メンバーが政府と関わり、さらには政府からの支持を得られるようにするための手段である。サニーランズ・イニシアティブには、マルティ・ナタレガワ(Marty Natalegawa)インドネシア元外相、高須幸雄元国連大使、申珏秀(Shin Kak-Soo)元駐日韓国大使らが参加している。これらの人物は現在も自国の行政府や立法府と強い結びつきを持っており、サニーランズ・イニシアティブに自国政府を巻き込む上で重要な役割を果たすことが期待されている。

地域的な緊急性は高まっているが、アジアの民主主義国政府にとって、主権規範に留意し、他の競合する国益を両立させながら民主主義を促進することは容易ではないだろう。自由、人権、法の支配のために、こうした制約を受けることなく政府高官と接触できる市民社会メンバーは、イニシアティブの目的を推進する上で重要な役割を果たすことが期待される。

第三に、サニーランズ・イニシアティブにおける米国アクターの役割は、これまでも、そしてこれからも重要である。アジアの潜在的なアクターの多くは、米中の間で「一方の肩を持っている」と見られることを依然として嫌っているが、米国が最古の民主的友人として、この地域の民主主義規範を強化する上での戦略的パートナーである必要性を理解している。歴史的・文化的しがらみから受動的な立場に陥りやすいアジアのアクターにとって、同様の制約を受けていない米国と協力することは、「ヘッジングとバランシング(hedging and balancing)」戦略を修正する上で有効であろう。同地域における従来の民主主義イニシアティブには、こうした要素が含まれていなかった。サニーランズ・イニシアティブは、この要素を最前線に押し上げることを目的としている。

第四に、サニーランズ・イニシアティブは、アジアのパートナーが持つ地政学的懸念を理解し、「自由で開かれたインド太平洋」構想の教訓も考慮に入れた結果、権威主義国に対峙する武器として作られた排他的ネットワークとみなされないよう配慮を施している。米国もアジアのパートナーも、このイニシアティブが民主主義擁護のために有効に機能する地域制度に発展することを望んでいるため、イデオロギー的な論争ではなく、普遍的な価値に根ざし、かつ地域のパートナーによって支持される「パートナーシップ」や「共通の規範と原則」といった考えを強調している。自由主義的規範とルールに基づく秩序に関心を持つ同地域の人々からより多くの賛同を得たいという期待があることは明らかである。

バイデン政権は、民主主義の価値を守るために、民主主義サミットをはじめとする多国間手段を通じて世界に再び関与する意向であることを明らかにしている。民主主義を支える地域枠組みの形成が他地域に比べて遅れているアジアでは、地域の民主主義諸国が歩み寄り、これまで地域的な多国間協力を妨げてきた偏見と課題を克服し、共通の価値と原則を守る責任を担うことが必要である。

サニーランズ・イニシアティブの規模を域内で拡大し、効果的なアプローチとするためには、アジアのアクターの間で当事者意識を促進することが極めて重要である。そのため、アジア諸国にとって許容できる民主的ガバナンスのあり方とそれを達成できる方法に照らして、アジアのパートナーが自らの能力と快適さの範囲内にあると感じる方策を重視することが有益であろう。

バイデン政権はアジアのパートナーに対し、インド太平洋地域における米国のコミットメントと規範に基づくパートナーシップを新たにする同国の意向を再認識させようとしている。サニーランズ・イニシアティブは、米国の政策立案者と民主主義支持者がアジアの市民社会及び政府パートナーとの関係を有意義な形で修復し、再関与するプラットフォームを提供するものである。バイデン政権の協力を期待する。

【翻訳】
鈴木涼平(一橋大学大学院法学研究科 博士後期課程)
土方祐治(一橋大学国際・公共政策大学院 修士課程)

プロフィール

市原麻衣子 プロフィール
一橋大学大学院法学研究科および国際・公共政策大学院教授。民主主義のための世界運動(World Movement for Democracy)および東アジア民主主義フォーラム(East Asia Democracy Forum)運営委員、朝日新聞論壇委員。専門は国際政治学、民主化支援、日本外交、影響力工作。米ジョージ・ワシントン大学大学院政治学研究科博士課程修了(Ph.D.)。最近の著作に、“Japanese Democracy After Shinzo Abe,” Journal of Democracy 32-1 (2021); “Universality to Plurality? Values in Japanese Foreign Policy,” in Yoichi Funabashi a­nd G. John Ikenberry, eds., The Crisis of Liberalism: Japan a­nd the International Order (Washington DC: Brookings Institution Press, 2020); a­nd Japan’s International Democracy Assistance as Soft Power: Neoclassical Realist Analysis (New York a­nd London: Routledge, 2017)などがある。

リン・リー プロフィール
全米民主主義基金(National Endowment for Democracy)アジア担当アソシエイト・ディレクター。東アジアにおける民主主義・人権プログラムおよびアジア地域イニシアティブの助成金ポートフォリオを監督。それ以前は、インターメディア(InterMedia)シニア・プロジェクト・マネージャーとして、ラジオ・フリー・アジア(Radio Free Asia)、ボイス・オブ・アメリカ(Voice of America)、BBCなど、アジア向けにラジオやテレビ番組を放送する主要なメディア機関の調査プロジェクトを管理。サセックス大学大学院で開発学博士号取得(Ph.D.)。