民主主義・人権プログラム
「ロシア・トゥデイ」のチリへの静かな到来 -プロパガンダと言論の自由への挑戦
出版日2026年1月30日
書誌名Issue Briefing No.108
著者名サッシャ・ハニグ・ヌニェズ
要旨 2025年6月、ロシアの国営メディア「ロシア・トゥデイ(Russia Today)」がチリの公共テレビで放送を開始した。これは事前の通告なしに、また放送権を獲得していた民間企業との契約によって行われた。このことは、契約の透明性の欠如と、外国による情報操作・干渉(Foreign information manipulation and interference: FIMI)キャンペーンの潜在的影響という疑惑により、大きな緊張を引き起こした。本稿では、この出来事がもたらす潜在的な影響について考察し、認知戦争とハイブリッド脅威に関する現在の安全保障上の議論が、南米の安定した民主主義国家にまで及んでいることを示す。
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「ロシア・トゥデイ」のチリへの静かな到来
-プロパガンダと言論の自由への挑戦

サッシャ・ハニグ・ヌニェズ
(一橋大学大学院法学研究科博士課程)
2026年1月30日

 

*本稿の原文は2025年7月1日にアテナラボから出版された。ハイパーリンクは原文から追加した。

 

2025年6月、国営メディア「ロシア・トゥデイ(Russia Today: RT)」がチリの公共テレビネットワークに登場したことで、国民の間で大きな議論が巻き起こった。この事件からの教訓は、世界中に適用できる。批判された問題は、事前の通告や審査なしに宣伝用チャンネルの放送を可能にした不透明な合意や、外国による情報操作・干渉(Foreign information manipulation and interference: FIMI)キャンペーンの潜在的影響などである。

ベネズエラのTelesur、中国のCGTN、イランのHispanTVなど、権威主義国のメディアによって流布されるニュースは、常に虚偽の情報というわけではない。むしろ、現実に関するプロパガンダ的な見方を提示しており、対立をさらに悪化させたり、もしくは非合理的な決定を導く感情的反応を刺激するものである。場合によっては、観光から指導者まで幅広く、その国の政権のイメージや価値観、政策を宣伝する情報もある。また、より憂慮すべきケースとして、事実に反論し、オープンな議論をし、友好的な専門家の意見を紹介しようとする内容もある。問題は、権威主義的なプロパガンダ・メディアがこれを実現するために、裏付けのない情報源や、論点ずらし、あるいは単に露骨な偽情報の流布に頼ることである。本稿で取り上げるRTは、ウクライナにネオナチ集団がいるという偽情報や同国の生化学研究所の存在といった偽情報を紙面で伝え、侵略に関するロシアの見解(国連総会で140カ国が否決)を宣伝し、歴史的な大義名分や拡張主義的レトリックをめぐって、戦争の経済的・人的影響を最小限に抑えている。

チリの場合、RT参入以前に統制や精査がなされていなかったことから、国内メディアシステムの脆弱性が2つ明らかになった。第一に、「ハイブリッド戦争」に用いられるチャンネルや非伝統的な影響力に直面する国の安全保障に対する懸念の欠如である。チリ政府は、技術的な面であれ認知的な面であれ、安全保障の確保を大国だけの遠い存在と考えているようで、予防的な行動は、政府の国際政策の縮図となっている「中立」を放棄するものと理解されている。その結果、サイバーセキュリティ、情報、あるいは官民開発(いずれも今回のケースに関連する)であれ、権力拡大のこうした「新しい空間」で論争が起きた場合、国が先験的に国民を保護できるような真の保護メカニズムは存在しない。

これとは対照的に、世界では情報のセキュリティ化が進んでいる。2022年2月、欧州連合(European Union: EU)はロシアの国営テレビ、およびスプートニク(Sputnik)とRTの発信を禁止する決定を下した。その主な理由はクレムリンのウクライナ侵攻であるが、侵略国の思惑から政治的・文化的影響を受ける可能性も懸念された。2024年末、EUはその措置を他の4つのロシアメディアである、ボイス・オブ・ヨーロッパ(Voice of Europe)、RIAノーボスチ(RIA Novosti)、イズベスチヤ(Izvestia)、ロシイスカヤ・ガゼータ(Rossiyskaya Gazeta)にも拡大した。これに対し、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)政権は自国領土内で活動する81の西側メディアを検閲した。世界の他の国々における解釈や反応がどうであれ、両ブロックの行動は、今日の世界において情報空間がいかに重要であるかを示している。

第二に、そしておそらくより重要なのは、民主主義と政治に関する議論である。表現の自由は常にデリケートな問題であり、20世紀後半の歴史的経過を持つチリではなおさらである。正確で、議論に役立ち、一般的な関心を引く可能性のあるコンテンツを検閲するような決定を下す場合、制度は慎重になる。問題は、政治的影響と情報空間の歪曲という点で、明確なアジェンダを持つ権威主義的指導者の行動に、各国がどのように効果的に立ち向かえるかということである。これは最近オスロで開催されたインターネット・ガバナンス・フォーラム(Internet Governance Forum)でも議論されたことである。国家テレビ評議会(National Television Council: CNTV)がこの事件を受けて述べたように、この機関は外国のコンテンツの放送を禁じてはいない。しかし、ロシアのケースのように、戦争状態にある政府からのコンテンツの送信は、多元主義と民主主義の保護に関する正当な議論を呼び起こす可能性がある。メディア環境にロシアのチャンネルが存在することによって、民主主義はどのような影響を受ける可能性があるだろうか。第一の答えは、民主主義的な言説が歪められる可能性があることである。特に選挙の年であり、政治体制に明確な不満を抱く分極化した社会であることが関係している。第二に、この状況は今後のFIMIキャンペーンの前例となりかねない。もっと簡単に言えば、チリの機関が検閲しないことを約束するのは、国の安全と安定にとって逆効果になりかねないという意見もあれる。合法的な情報発信を、混乱を引き起こすような情報を流布するキャンペーンや偽情報拡散の実績を持つ権威主義国家がスポンサーとなった宣伝チャンネルの登場から区別しようとする意見もある。

最後に、このチャンネルがチリに設立されたことを擁護する論拠として、RTと同様にBBCやドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle: DW)のような外国の国営メディアも配信を行っているというものがある。しかし、この比較は不適切であり、悪意さえ感じられる。すべての国営メディアが同じ原則のもとに運営されているわけではないからだ。たしかにBBCやDW、日本のNHKなどのメディアは国営だが[1]、表現の自由を守り、最低限の民主的価値を保証する厳格な法律によって管理されている。これらのチャンネルの目的のひとつは自国の文化を広めることだが、透明性をもって活動し、多元主義を実現する場を自らに与えている。これとは対照的に、権威主義的な国家宣伝メディアは、その出身国政権の外交政策によって確立された明確な目的を持っており、ナラティブ影響力、権威主義的協力、混乱、そして他のメカニズムのなかでも、明確な偽情報によってソフトパワーを拡大しようとしている。これらの理由から、またRTの具体的な事例を越えて、チリはこの国際的な議論に参加し始めなければならない。なぜなら、「中立性」を追求するあまり議論を避けることが、こうした現象に対してわれわれの民主主義をより脆弱なものにしていることを今回改めて明らかにしているからである。

 

【日本語翻訳】

小山朋恵(一橋大学大学院法学研究科博士課程)

 


[1] BBC、DW、NHKはいずれも、公共放送ではあるが国営ではない。訳者注。

プロフィール

金融記者の経験を持つチリ人の国際アナリスト。現在、複数の組織でコンサルティングを行うほか、最近設立されたCADチリ(Centro de Análisis para la Democracia, Chile)では事務局長を務め、一橋大学グローバル・ガバナンス研究センターではリサーチ・アシスタントとしてサポートしている。主な研究分野は、中国の世界的影響力と社会における科学と技術の影響。アドルフォ・イバニェス大学(Adolfo Ibáñez University)で修士号、一橋大学で国際・行政政策修士号を取得。学術的な関心に加え、6冊の小説を出版している小説家でもある。