民主主義・人権プログラム
国境を越えて ― 能登半島地震と香港人コミュニティの対応
出版日2025年1月10日
書誌名Issue Briefing No. 86
著者名田中 杏奈(Anna Tanaka)
要旨 石川県能登半島地震は、在日香港人から気遣いの気持ちを集めただけでなく、日本香港協会の長年の伝統であるチャリティー活動の恩恵を受けた。この震災を受けて、日本香港協会は直ちに被災地を支援するための義援金キャンペーンを開始した。外部への働きかけと支援をより多く行うため、同協会はソーシャルメディア等を効果的に活用し、国内外にキャンペーンを拡散した。オンラインキャンペーンと並行して、一部の香港人は被災地で直接ボランティア活動に加わり、身体的にも精神的にも支援に尽力した。この出来事は、在日香港人コミュニティの意識も高め、将来起こり得る緊急事態への備えを強化したうえ、日本のコミュニティとの地域的、そして世界的な絆をより強固なものにした。
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国境を越えて 
―能登半島地震と香港人コミュニティの対応

田中 杏奈(Anna Tanaka)
(日本香港人協会 理事)
2025年1月10日

2020年に設立された日本香港人協会(Japan Hongkongers Association: JHA)は、在日香港人のための強力な支援ネットワークを構築することを目的とし、コミュニティ形成、文化交流、相互扶助に重点を置いている。共感、団結、積極的な参加という価値観に根ざしたJHAの活動は、在日香港人コミュニティの中で重要な役割を果たすとともに、香港人と日本人のコミュニティの架け橋となっている。

2024年1月1日、石川県能登半島をマグニチュード7.6の大地震が襲った。JHAは迅速な対応の必要性を認識した。当協会のネットワークとリソースを活用し、地震被災地への救援活動に参加するよう世界中の香港人に働きかけた。活動の一つである義援金キャンペーンでは、3週間で6,500万円を集めた。

文化的背景と寄付キャンペーンの動機

多くの香港人は、漫画やアニメ、Jポップなどの人気メディアを通じて、幼い頃から日本文化に親しんでいる。日本文化への接触は、日本の伝統、芸術、ライフスタイルへの理解が深まり、食の嗜好からファッション、エンターテイメントの選択に至るまで、あらゆるものに影響を与えている。2023年上半期、人口750万人の香港の訪日客数は、韓国、台湾、米国に次いで第4位だった。香港人の日本への関心の高さを反映していると言える。

日本に対する親近感に加え、香港人はチャリティ・キャンペーンに快く応じるという長年の文化的背景を持っている。この慣行は地域社会の価値観に根ざしており、毎年テレビで放送されるチャリティ・イベントで強化されている。気前の良さという文化的規範は、能登半島地震に対するJHAの義援金キャンペーンに対する、即時かつ多大な反応からも明らかである。香港人コミュニティが本来持っている、困っている人々を支援する心構えを示している。協会メンバーのほとんどが香港で生まれ育ったため、能登半島の緊急救援に寄付をしたいと思う香港人がたくさんいることは容易に予想できた。そして、香港の政治的な状況もあり、香港の団体が香港でキャンペーンを行うのは容易ではないとも考えた。私たちは、今こそ日本のために何か行動を起こそうと思いを強くした。

元旦の深夜、地震による停電で能登半島全体が暗闇に包まれた。唯一の明かりは、悲しいことに、文化的・歴史的に重要な場所として知られる輪島朝市で発生した心苦しい火災によるものだった。一夜にして200を超える建物が灰に変わった悲惨な映像がテレビで放映され、協会のメンバーにも深い衝撃を与えた。この光景を目の当たりにして、深い悲しみを抱くと同時に、直ちに行動を起こさなければならないという衝動に駆られた。日本に住む者として、私たちはこの災害で被災された方々を支援し、今まさに自分たちが故郷と呼んでいる国へのコミットメントを強化することに、強い社会的責任を感じた。

震災支援キャンペーンを成功に導いた構想

援助したいという強い思いに突き動かされ、私たちは悲しみを行動に転換した。寄付キャンペーンを直ちに開始し、世界中の香港コミュニティから多額の寄付を集めた。キャンペーンを成功に導いたのは、迅速な対応、世界の香港ディアスポラとの協力、効果的なソーシャルメディア戦術によるものである。後述するように、ソーシャルメディア戦術は予想だにしなかったディアスポラ・インフルエンサーからの支援に繋がった。

まず、香港人の特徴として効率性と順応性の高さが知られている。これは緊急救援活動に対応する上で非常に貴重な特性だった。私たちの委員会メンバーは、ウェブサイトの統合された決済システムを活用して、一晩でプロモーション資料を準備した。迅速な広告文作成と実践的な決済システムにより、震災翌日の1月2日正午までに義援金キャンペーンを立ち上げた。

次に、私たちの主なターゲットはグローバルに展開する香港人であることから、広東語と日本語を駆使した素材を作成した。日本や香港をはじめとする世界の香港人に対し、効果的にリーチすることができた。また、ソーシャルメディア・チャンネルで寄付金額と寄付件数を毎日更新し、寄付期間中は少なくとも週に1回、すべての支援者に定期的な報告を行うことで、キャンペーンが常に注目され、より良い支援活動に繋がるようにした。

さらに、クレジットカード決済に対応した決済システムにより、迅速な寄付手続きが可能となった。国際的な支払いに対応することは、世界中の香港ディアスポラから支援を受け入れるために必要不可欠だった。

また、ソーシャルメディアを頻繁に更新することで、私たちの考えに深く心を動かされたインフルエンサーの支持を集め、キャンペーンのリーチが大幅に広がった。香港のディアスポラ・コミュニティで著名なインフルエンサーたちが私たちのキャンペーンを宣伝し、香港や日本だけでなく、台湾、カナダ、ヨーロッパにまでメディア報道が拡散した。インフルエンサーたちの支持はキャンペーンの知名度を高め、支援と寄付の急増に大きく貢献した。

震災支援金の効果的な配分について

キャンペーン終了までに、世界中の香港人から6,500万円が集まった。6,500万円という金額は、緊急支援で必要な資金に比べれば十分なものではないかもしれないが、私たちのような小さな組織にとっては、まったく予想外の金額だった。この多額の寄付金を預かる責任に直面し、私たちは1円でも有効に使いたいと考えるようになった。

最初に私たちは、難民を助ける会に3,000万円を寄付することにした。難民を助ける会は1979年に設立され、国内外で緊急救援活動を行なってきた豊富な経験を持つ。難民を助ける会は、2020年の九州豪雨災害義援金キャンペーンのパートナーでもあった。この3,000万円の資金は、現地での緊急支援に充てられ、難民を助ける会は被災者の重要なニーズに迅速に対応することができた。

さらに3,000万円を、包括的な緊急救援活動やより広範な復興イニシアティブに充てられるよう、石川県庁に割り当てた。地方自治体が策定した復興戦略を強化し、緊急のニーズと長期的な復興プロセスの両方に対する結束し、効果的な対応を確保することを目的とした。

また、ボランティア・グループ、特に石川県在住の香港人が重要な活動を行っていることも知っていた。そのため、彼らの取り組みに感謝し、残りの資金は現地での彼らの重要な活動を支援すべく提供した。これらのボランティアの多くは地震で直接被害を受け、初期の救援活動に尽力し、現在も積極的にボランティア活動を続けている。

義援金はすべて、香港人の被災者への思いの表れだ。責任ある仲介者としての私たちの目的は、実質的な支援を提供するという確固としたコミットメントを反映し、寄付された1円1円が被災者の生活に有意義に効果を及ぼすようにすることである。私たちのキャンペーンで寄付を受けたすべての関係者と連絡を取り、活動の進捗状況を把握するため、ソーシャルメディアで定期的に最新情報を発信するとともに、寄付提供者に報告書を送付し、寄付金がどのように使われたかを理解してもらっている。

能登半島での香港人によるボランティア活動

2月下旬、義援金キャンペーンのフォローアップの一環として、香港人によるボランティアチームに参加した。チームは震災後1週間目から活動している。このボランティアチームは当初、自らも被災者である内灘町在住の香港人らによって結成された。その後、石川、富山、福井の他地域に住む香港人ボランティアも加わり、チームは拡大した。現在のメンバーは全員、震災後に心理カウンセリングを行うための資格を持っている。中には、2011年の東日本大震災や2016年の熊本地震でのボランティア経験を持つメンバーもいる。

今回の訪問で私の役割は、チームの一員として被災者に温かい食事を用意することだった。被災地の限られた資源を使うことなく効率的に食事を提供できるよう、食材の組み立てや料理の下ごしらえなど、訪問前の準備を行った。翌日の早朝、私たちはすべての食材、調理器具、携帯ガスコンロ、そして飲料水の入った大きなタンクを、深刻な被災地のひとつである穴水町に運んだ。

避難所にいた被災者のほとんどは高齢者であった。そのため、私たちの役目は単に食事を提供するだけにとどまらなかった。震災後、多くの家族が通勤・通学のために都市部に転居したため、高齢者の支援は限られていた。このことを認識し、ボランティアたちは高齢者との関わりを重視した。私たちの存在は、単に物理的な援助だけでなく、耳を傾けるなど精神的なサポートも提供することであり、家を失っただけでなく、家族との日常的な存在を一時的に失った人々に仲間としての感覚を持ってもらうことでもあった。

被災者らの反応はとても感動的で、多くの被災者から温かい握手と感謝の言葉を頂いた。このような困難の中でも、私たちの簡単な食事を提供することから希望や連帯を生み出す貴重なきっかけになったという事実を目の当たりにし、身の引き締まる思いがした。

在日香港人のための地震対策

能登半島地震の後、地震が起きたときにどうすればいいのかわからない住民がいることが明らかになった。香港では地震がほとんどないため、多くの香港人は地震発生時や発生後の対応について肝心な知識を持っていない。JHA設立以来、私たちは日本在住の香港人および地域社会の知識ギャップを埋めるための活動をしている。そのために、JHAは教育活動を強化してきた。

私たちは東京と大阪にある防災センターへのツアーを実施するなど、さまざまな危険に関する体験学習を提供するようになった。これらのツアーは、センターの専門スタッフが引率し、JHAが広東語の通訳をすることで、参加者全員が安全についてのプロトコルを十分に理解できるようにしている。参加者は、地震の際の対応を学びつつ、今後起こりうる地震に備え自宅整備や身支度をすることができる。

さらに、JHAはブログやソーシャルメディア・プラットフォームを活用し、地震への備えに関する重要な情報を発信している。私たちは地域社会に対し、魅力的な投稿や有益なコンテンツを通じて、地震発生後の安全対策、緊急対応、復旧プロセスについて学ぶ機会を作ることを目指している。これらのデジタル・チャンネルは、在日香港人の意識とレジリエンスを高める上で極めて重要なツールであり、災害予防センターでの教育活動をさらに充実したものにしている。

この寄付キャンペーンは、地震の被災者とより広範な日本のコミュニティ、そして国内外を問わず香港人と私たちが繋がっていることを認識できた意義ある出来事だった。日本に対する思いやりの心が、私たちの行動と構想に成功をもたらした。私たちは、寄付やボランティアに参加した香港人一人ひとりを誇りに思うと同時に、私たちが故郷と呼ぶ日本への無私の支援に感謝している。JHAは今後も、地域社会のレジリエンスを高めることに尽力し、多様な取り組みを通じて文化の隔たりを埋め、香港人と日本との絆を深めていくつもりである。

今回の地震で大切な人を亡くされた方々、そして家を失った方々に心より哀悼の意を表する。そして、石川県が逆境に立ち向かい強さとレジリエンスによって一日も早く復興し、建造物だけでなく人々が織りなす地域社会までもが立ち直っていくことを願っている。

難民を助ける会は、被災地に温かい食事を届けるだけでなく、障害者団体を支援し、彼らの重要なサービスの継続性支援を行った。
避難所への道はまだ安全ではなかった。両側には赤と黄色の看板が立っており、道路沿いの建物が構造的な損壊を受け、もはや安全ではなく、居住に適していないことを示していた。
輪島では、香港人のボランティアが持参した器具を使って食事を用意し、食を通じた安らぎを提供した。
穴水町の避難所では、ボランティアが被災者らのために、焼きそばを提供した。野菜はカット済み、肉と麺は前日に調理済みで、迅速かつ効率的に食事を提供することができた。
被災した香港人一家のいる内灘町では、香港人が被災者であると同時にボランティアとして、より困っている人を助けるために手を差し伸べていた。
食事を提供した後、ボランティアと被災者が心を通わせ、困難な時に温かく支援してくれたことに対する感謝の言葉を受けた。

 

 

【日本語翻訳】
熊坂 健太(一橋大学国際・公共政策大学院修士課程)
中島 崇裕(一橋大学大学院法学研究科修士課程)

プロフィール

一般社団法人日本香港人協会理事。香港で生まれ育ち、英国と米国で大学教育を受けた後、国際ビジネスで専門的な経験を積む。もともとは香港を拠点としていたが、2015年に日本に移住。2019年から日本国内で香港の民主化活動を主催し、在日香港人を支援している。在日香港人のディアスポラ(香港以外に住む香港人の集団)のコミュニティを育てていく重要性を認識し、2020年に一般社団法人・日本香港人協会を共同設立。