【GGRトークセッション】民間外交 -冷戦期における米中関係の変容とアメリカ人・中国人の役割
日にち2025年5月21日
時間14:00–15:00
開催場所マーキュリータワー3302
イベント概要

2025年5月21日、一橋大学グローバル・ガバナンス研究センター(GGR)は、南一史氏(大阪大学大学院国際公共政策研究科・准教授)を講師に招き、トークセッション「民間外交 -冷戦期における米中関係の変容とアメリカ人・中国人の役割」を開催しました。

南氏はまず、1970年代における緊張した米中関係について説明しました。転機となったのは、1972年2月のニクソン大統領による歴史的な中国訪問であり、毛沢東主席や周恩来首相との会談が行われました。この訪問を契機として発表された「上海コミュニケ」は、7年後に正式に実現する国交正常化への基盤を築くものとなりました。

その後、南氏は「民間外交」という概念を紹介しました。これは、政府ではなく、個人や非国家アクターが主導して行う外交努力を指します。国家主導の広報外交とは異なり、民間外交は、文化、教育、科学、スポーツなどの分野における草の根レベルの交流を通じて展開される点が特徴です。代表的な事例としては、1971年の「ピンポン外交」が挙げられます。これは、アメリカと中国の卓球選手による友好的な交流が両国間の緊張を緩和し、正式な外交交渉への道を開いたものです。中国はこうしたアプローチを「人民外交(renmin waijiao)」として制度化し、市民レベルの外交を通じて国際的な友好関係の構築を推進してきました。

民間外交は、国際関係を人間的なものにし、信頼を構築し、公式な関係が停滞しているときにも対話のチャンネルを開く上で、重要な役割を果たします。外交は国家だけの領域ではなく、個人や地域社会によっても形作られるという点を示すものです。こうした観点から、南氏は民間外交の具体的な領域として「貿易」「観光」「スポーツ」の三つを挙げ、それぞれについて解説しました。

まず貿易については、1949年の禁輸措置以降、米中間の商取引は停止していたものの、1970年代にはアメリカの経済界のリーダーたちが再開を求めるようになったと述べました。1972年のニクソン大統領の訪中を契機に、両国の貿易は再び動き出し、中国は近代化政策の一環としてアメリカの技術を歓迎しました。

次に観光については、西洋における中国への関心はマルコ・ポーロの時代にまで遡るものの、1970年代にはそれが政治的プロパガンダから経済発展の手段へと転換された点に注目しました。鄧小平は外貨獲得と近代化を目的として外国人観光客の受け入れを拡大し、アメリカ人観光客が中国の市民と交流するようになったことで、中国の国際的イメージにも変化がもたらされたと指摘しました。

最後にスポーツについては、「ピンポン外交」が象徴的な事例であり、スポーツを通じた交流が平和を促進し得ることを示したと述べました。1972年の訪米時には、中国の卓球選手たちが非公式な親善大使としての役割を果たし、時には友好を優先してあえて試合に敗れる場面も見られたと紹介しました。

質疑応答では、民間外交の原動力やその多様性との関係に関する質問が寄せられました。とくに、数多くの自発的な交流や関係の変化が見られた背景について問われました。これに対し南氏は、1970年代の民間外交は、中国によるアメリカの技術と近代化への強い関心、アメリカの中国市場に対する経済的な期待、さらに科学分野における協力といった多様な動機によって推進されていたと説明しました。こうした多様な利害が、相互利益を生む基盤となった点が強調されました。
最後に、外交に多様なアクターが関与することによって、米中関係の構造がより複雑かつ多層的なものであることが明らかになると述べました。こうした多様性は1970年代に限らず、現在においても引き続き存在していると結びました。

【イベントレポート作成】
ビラル・ホサイン(一橋大学大学院法学研究科博士課程)
羅 喬郁(一橋大学国際・公共政策大学院修士課程)