民主主義・人権プログラム
アクティビズム、そして母であること -日本在住ミャンマー人活動家との対話
出版日2024年9月2日
書誌名Issue Briefing No. 80
著者名アウン・ニン・テ・テ
要旨 *この論文は、2024年2月22日に実施されたインタビューをもとに作成された。
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アクティビズム、そして母であること
-日本在住ミャンマー人活動家との対話

聞き手・著者:アウン・ニン・テ・テ
(一橋大学 国際・公共政策大学院 修士課程)
2024年9月2日

スェイ・セツ・エイ氏(Swe Set Aye)は、ミルクティー同盟日本の一員で、日本に住むミャンマー人活動家が直面する課題と機会に積極的に取り組んでいる。彼女はヤンゴン地方出身でバマ族に属し、日本におけるミャンマー人コミュニティの独特な経験について深い洞察を行う。

スェイ氏が19歳で来日したとき、日本語はほとんど話せず、政治活動にも参加したことがなかった。揺るぎない決意を胸に、日本のビジネスカレッジに入学した。「私が『活動家』という肩書きを持つようになった転機は、2021年のミャンマー軍事クーデターの直後に訪れました。」彼女は、軍事政権が自分の夢を打ち砕いたと語るが、革命のために命を捧げた人々の犠牲と比べれば、自身の苦労はわずかなものだとも話した。こう彼女が話したとき、彼女の目は傷ついた過去の重みを背負い、不正義に対する揺るぎない抵抗の意志を示しているように見えた。

彼女は活動家であると同時に、娘を育てる母親でもある。「妊娠中にイベントに参加するのは簡単なことではありませんでした。出産後は娘が常に連れ添ってくれました。いろいろなイベントに連れて行くしかなかったのですが、頼もしい仲間です。母と夫の役割も重要です。私が革命運動に関わることを非難する親戚もいた中でも、私が活動家であることを強く支えてくれました。」彼女はこう続けた。「無法な軍事政権によって残酷に逮捕され、殺された妊婦や母親、罪のない人々のニュースを受け取るたびに、心が傷つきます。」

日本に住むミャンマー人が団結するとき、フェイスブックをはじめとするソーシャルメディアが、タイムリーな運動の情報を共有する主要なプラットフォームになった。スェイ氏は、革命におけるミャンマー人コミュニティの極めて重要な役割を強調した。そしてこのコミュニティは、彼女が活動家になるきっかけでもあった。「ミャンマーで軍事クーデターが起きたという悲惨なニュースを知ったとき、私たちはフェイスブックを用いて、日本に住むミャンマー人に告知を行い、迅速に結集しました。この経験が、日本ミャンマー・ヘルプ・ネットワーク(Japan Myanmar Help Network)の設立につながりました。このネットワークは、ミャンマーで起きている出来事や日本のミャンマー人コミュニティの活動に関する情報を共有するための独立したプラットフォームとなっています。現在、日本に住むミャンマー人コミュニティは、積極的に署名活動を行い、ミャンマー人住民だけでなく、日本人の個人からも署名を集めています。日本政府がミャンマー軍事政権に圧力をかけ、国民統一政府(National Unity Government:NUG)を正当な政府と認め、NUGに直接人道支援を提供するよう請願するためです。」

日本のミャンマー人ディアスポラは様々な都道府県に存在する。軍事クーデターに積極的に抵抗する姿からは、民主主義と人権に対する強いコミットメントが見て取れる。「さまざまな民族や地域を代表する約50のミャンマー人の革命グループが日本に存在し、ミャンマーやタイ=ミャンマー国境沿いの人々とのつながりを強化しています。文化的なイベントや抗議活動を実現させるために、私たちは各グループとの関係を維持しています」。彼女はミャンマーのディアスポラ・グループとともに運動に積極的に参加する一方で、香港の活動家とも協同し、世界的な運動に広く貢献している。

協同的な関与について彼女はこう語る。「日本、香港、タイの活動家の紐帯を築くための重要な機会です。協同的に交流を行うことで、互いに学び合い、民主主義と人権のための戦いと独裁者に対する戦いに団結して取り組むことができるのです。」

軍事クーデターの後、日本のミャンマー人ディアスポラは物理的な問題だけでなく、精神的な問題にも直面した。スェイ氏は、日本のミャンマー人ディアスポラが直面する問題に対処すると同時に、運動で積極的に活動家としての役割を担ってきた実体験を語った。「私は革命運動の連絡先の一つになっています。そのため、ディアスポラの多くのミャンマー人が私に連絡をくれます。連絡の内容は、偽情報やビザの問題など多岐にわたります。軍事クーデターによる問題についての助言を求められるときさえありました。そのため、他の人々や革命的運動を支援するために、身体的な健康だけでなく、精神的な健康を維持することもとても重要であると考えています。力を発揮して、効果的に支援し、運動に貢献できるようにしたいです。」彼女は深く溜息を吐きつつこう話した。

インタビューが終わりに近づくにつれて、スェイ氏は自分の将来を思い描くことの精神的な負担を率直に語った。ミャンマーの困難な状況を踏まえた感情だった。「毎週末、仲間の活動家たちとともに駅前で募金活動をしながら、苦悩を抱え、耐え忍んでいます。特に現在起こっているミャンマーの情勢から未来を考えると、とても悲しくなります。」

私たち日本のミャンマー人ディアスポラは、人道的危機や経済不況など、ミャンマーで進行中の事態に影響を受けています。日本政府に対し、NUGを承認すること、ミャンマーへの政府開発援助(Official Development Assistance: ODA)支援を停止し、軍事企業、特にミャンマー軍事政権に関連する企業に制裁を課し、ミャンマー軍事政権に圧力をかけることを、改めて要請します。

 

彼女はまた、日本政府と日本人へのメッセージを伝えた。「ご存知のように、軍がクーデターを起こしてから3年以上が経ちました。私たち日本のミャンマー人ディアスポラは、人道的危機や経済不況など、ミャンマーで進行中の事態から影響を受けています。日本政府に対し、NUGを承認すること、ミャンマーへの政府開発援助(Official Development Assistance: ODA)を停止し、軍事企業、特にミャンマー軍事政権に関連する企業に制裁を課し、ミャンマー軍事政権に圧力をかけることを、改めて要請します。また、ミャンマー国民に直接、人道支援を提供するよう強く要請します。」

【日本語翻訳】
中島 崇裕(一橋大学大学院法学研究科修士課程)

プロフィール

日本ミャンマーMIRAI創造会(Japan Myanmar Future Creative Association:JMFCA)ワーキング・コミティ代表、NUG日本代表事務所所属。2013年に日本に留学し、日本企業に7年間勤務し、現在はミャンマーにおける民主主主義支援活動に幅広く携わっている。