デジタル影響工作対策の課題
—なぜEU・アメリカは中露イランの手法に対応できないのか?
一田和樹
(明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員)
2024年3月11日
中露イランによるデジタル影響工作の変化
欧州連合(European Union: EU)やアメリカによるデジタル影響工作への対策の多くは偽情報対策(誤情報含む)に焦点を当てている。そのために海外からの偽情報を利用した干渉を阻止し、大手SNSプラットフォームや大手アドネットワークに対処を徹底するよう要請している。EUでは大手のSNSプラットフォームやアドネットワークへの規制を導入し、アメリカサイバー軍(United States Cyber Command、通称サイバーコム)はロシアなどに対して能動的な防衛手段を講じた。
しかし、この対抗策は攻撃側である中露伊(中国、ロシア、イラン)の目的ではなく、個別の攻撃手法に対応しているため回避されやすい(デジタル影響工作の手法については表1を参照)。2023年12月11日に公開されたアメリカ国家情報会議(National Intelligence Council)のレポートなどから中露伊の新しい手法に対応できていない状況がわかる[1]。
表1 共通化されてきたデジタル影響工作のTTPs(戦術、技術、手順)と対策
攻撃手法 | 概要 | 対策の効果 |
---|---|---|
国営メディア・外交官 | 国営のメディアや外交官など正規のルートからの情報発信。政府の外交関係者のアカウントや投稿された情報はSNSから削除されにくい。 | × 外交官などへの対応は難しいことが多い。 |
プロキシ | 表向き政府の関与がないように見せているが、実際には政府が関与しているシンクタンク、NPO、メディアなどからの情報発信。ロシアのElection Watch、Lies of Wall Street といったドッペルゲンガーやNews Frontなどが有名。 | △ プロキシの実態はだいぶ把握されてきている。 |
AIの活用 | LLMを活用した画像や動画テキストを生成して利用。 | ? 手法が開発途上 |
CIB(Coordinated Inauthentic Behavior) | SNSの不正利用。ボットやトロール、アカウント乗っ取りなど様々な方法がある。中国のSpamouflageが有名。 | ◎ 有効な対処方法が確立されつつある。 |
ハック&リーク | ハッキングして盗んだ情報を公開することで影響を与える。ロシアのTainted Leaksや民主党へのハッキングが有名。盗んだ情報を悪用する事もある。 | ◎ 有効な対処方法が確立されつつある。 |
小規模SNS、メッセンジャー利用 | 規制が厳しくなってきたSNSではなく規制の緩い小規模SNSを利用する。またTelegramのように暗号化されているメッセンジャーを使う事が増えている。 | ×× 実態の把握や対処方法が確立されていない。 |
大手SNSと連動 | 上記活動と合わせて、小規模SNSやメッセンジャーの投稿を大手SNSに転載する。関係者が行うだけでなく、相手国の同調者が協力することもある。 | ×× 実態の把握が難しいうえ、同調者が自国民である場合対処が難しい。 |
分散化 | 上記活動と並行して数十のSNSなどに分散して活動するよう変化した。 | △ 大手SNSには対処可能。 |
相手国の同調者と連動 | 中露イランは相手国の国内の個人やグループ、メディアが同調しやすいナラティブを拡散し、自らも相手国内の都合のよいナラティブを拡散する。相手国内の反主流派(RMVEs、陰謀論者、右派など)とは共鳴しやすい。 | ×× 自国民を利用された場合、言論や表現の自由との兼ね合いもあり、対処が難しい。 |
インフォメーション・ロンダリング | 発信した情報を相手国のメディアに転載させることで、信用を得やすくする。 | × 現在対処していない。 |
パーセプションハッキング | 影響工作が露見した際、逆にそのことを広めることで、相手国内にあらゆる情報に対する不安と不信を募らせる。最近では、「やっていない」サイバー攻撃や影響工作を自ら公表し、パーセプション・ハッキングの効果を狙う手口もある。 | ×× 原理的に対処不能。 |
出典:一田和樹「2024年選挙の年、世界のあり方が変わるかもしれない」Newsweek日本版、2024年1月10日(https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2024/01/2024.php)に加筆。
ロシアは2016年のアメリカ大統領選でも相手国であるアメリカ国内の分断と不信を広げようとし[2]、それに先立つBLM(Black Lives Matters)運動でも同様だった[3]。ヨーロッパに対しては相手国内の極右や独立運動を支援するなどの影響工作を以前から行ってきていた[4]。EUとアメリカはそのことがわかっているにもかかわらず、有効に対処できず、いまだに偽情報を中心とした対症療法を行っている。相手国の国内の分断や不信を利用するには、相手国内のグループや個人を扇動、協力、支持表明すればよい(表2タイプ3と4)。あくまで主体は相手国の国内グループや個人になる。
表2 デジタル影響工作の4分類
攻撃主体の活動 | 判断 | 欧米による対策の対象 | 現状の対策 | ||
---|---|---|---|---|---|
国内 | 国外 | ||||
タイプ1 | 自ら実行 | 明確な敵対的干渉 | デジタル影響工作対策の対象になっていない。 | ○ | ○ |
タイプ2 | 指示、命令 | 干渉と判断 | ○ | ○ | |
タイプ3 | 扇動、協力 | グレーゾーン | △ | × | |
タイプ4 | 支持表明、 間接的支援 |
グレーゾーン | × | × |
注:水色部分=非難はできるが、強制力を持つ対策は難しく、否認可能性も高い。
出典:一田和樹「今年の振り返り 周回遅れの情報戦対策と攻撃の深刻な乖離が進む」一田和樹のメモ帳、2023年12月28日(https://note.com/ichi_twnovel/n/n3b271f0fe338)を修正。
一方、旧来のタイプ1や2の手法である「協調的な不正行為(Coordinated Inauthentic Behavior:CIB)なども併用されており、こちらに対してはEUとアメリカによる対策で成果をあげることができる。その他の攻撃には対処できていないが、成功した結果だけが公表されるため一見うまくいっているように見えてしまう。代表例が2021年1月6日のアメリカ連邦議事堂襲撃だ。2020年アメリカ大統領選挙では、中露のデジタル影響工作抑止に一定の成果があったとされたが、翌年1月6日にQアノン(QAnon)などの国内グループの暴徒がアメリカ連邦議事堂を襲撃した。その背後に中露のデジタル影響工作があったことがスーファン・センター(Soufan Center)のレポートで明らかにされている[5]。このレポートには異論もあるが、Qアノンと中露の結びつきについては注11にあげた他のレポートでも指摘されており、なんらかの関与はあったと考えられる。
近年はアメリカ国内のデジタル影響工作対策の後退が起きている[6]。さらに2024年の大統領選挙においては結果の如何によらず混乱が起きることが予想されるほどアメリカ国内の分断と不信は悪化した[7]。
中露伊の干渉だけでアメリカの分断と不信が悪化しているわけではないが、三国はその一端を担っている。最近ロシアはアメリカの選挙へのサイバー攻撃を控えているが、その理由はアメリカ国家情報会議(National Intelligence Council)のレポートによるとデジタル影響工作の方が低リスクで高い効果を得られると判断したためである[8]。
国内の分断と不信が広がっているのはアメリカだけの問題ではなく、他の多くの民主主義国においても同様であり、ポピュリズムの台頭や権威主義化につながっている[9]。それを推進するグループは白人至上主義グループなど人種あるは民族的偏見に基づく過激派のRMVEs(Racially or Ethnically Motivated Violent Extremists)や陰謀論者、極右など多様だが、全く異なるグループではなく重複している可能性が高い。主張は異なるものの現状を否定する点で共通しており、同じ層が活動の時期によって主張を変えている[10]。コロナ禍で反ワクチンを主張していた人々が、ウクライナ侵攻が始まった際、一斉に親ロシア、反ウクライナの主張を開始したことでもわかる[11]。中露はこれらのグループをうまく利用している。
全体像把握の必要性に関する既存の研究
デジタル影響工作への対策が対症療法に留まっているという問題はこれまでも指摘されてきた。アリシア・ワンレス(Alicia Wanless)は、全体像を見ることの重要性を繰り返し訴えてきている[12]。ワンレスによれば、選挙や紛争などメディアで注目される事例のケーススタディや実験、調査が現在の主流となっており、原因はもちろん全体像を把握することができておらず、情報の生態系をとらえるべきであるとしている。だが、全体像を明らかにする試みには資金調達や複数の専門分野にまたがるという難しさもある。それよりはロシアや4chanなどのせいにする方がはるかに簡単でわかりやすい結果を出せる。
リー・チアン・テー(Li Qian Tay)らは、論文「誤情報について明確に考える(原題:Thinking Clearly about Misinformation)」において、因果推論に注目して課題を整理し、デジタル影響工作の効果と対策を考えるには因果関係の把握が必要であるが、さまざまな調査研究が異なる仮説と因果モデルを提示し、異なる結論を出していると論じる[13]。テーらによると、偽・誤情報あるいは陰謀論は、格差や分極化、ポピュリズムの台頭などといった社会的な背景や制度への不信から発生しているという仮説と前提、誤情報がその原因になっているという仮説、そうした背景と誤情報が相互に影響を与え合っているという仮説もあるという。仮説が異なれば結論が異なるのは当然だ。この論文は、因果ダイアグラムを使いランダム化比較実験(Randomized Controlled Trial: RCT)を用いたデータ解析において発生する要因の見落としを指摘している。調査方法の利便性や実現性を優先した結果、生じる問題だ。そこでテーらは、実態に沿った手法、因果推論に基づいた包括的なアプローチ、認知科学の知見の活用を提言している。
デジタル影響工作への対策には因果関係の推論が必要になるが、そこにはやっかいな問題がある。ジューディア・パール(Judea Pearl)が指摘しているように、因果推論の結果は分析者が主観によって選んだ因果モデルに則ったものであり、異なる分析者が異なる因果モデルを用いれば異なる結果となることもあり、どちらも正しいのだ[14]。さらに多くの場合、包括的なモデルではない方が責任の所在がはっきりし、対処もしやすい。「科学的」に正しさが検証されているなら既存の組織と方法論を適用できる包括的ではないモデルを使いたくなる(実際ほとんどはそちらだ)。問題に対して最適な解決方法を選択するよりも、既存の組織と方法論に最適化されたアプローチで問題を定義して対処しがちになる。包括的ではないモデルからは部分最適の対策が導かれ、全体に対してマイナスの効果を与える可能性もある。
効果の低い対策がもたらす悪影響
問題をさらに複雑にしているのが、対策や報道がもたらす悪影響だ。偽情報の脅威を無差別に発信する者を警戒主義者(Alarmist)と呼ぶが、警戒主義者の発する警告によって民主主義そのものや報道に対する満足度が下がることが指摘されている[15]。このメカニズムは2016年にすでにロシアが使用していたパーセプション・ハッキングと呼ばれる手法に近い。パーセプション・ハッキングとは、「デジタル影響工作が行われていた」ことを知るだけで、情報やメディアに懐疑的になり、不信感を抱くように仕向けることを指す。
2016年以降、政府やメディアによる無差別な警告が続いたことが民主主義の後退を招いた一因になっている可能性がある。たとえば日本では総務省が偽情報対策に積極的だが、当然ながらその中に安全保障は含まれていないし、原則としてタイプ3や4も含まれていない。アメリカの選挙ではサイバーコムが対処に当たっているが、中心は偽情報であり、さらに自国内からの干渉は範囲外になっている。日米いずれも偽情報に焦点をあてており、それ以外の問題にはあまり触れていない。結果としてバランスを欠いた偏った警告を発信していることになり、警戒主義によるリスクを高める。対象外の問題が受け手には見えなくなり、矮小化された部分的な問題が全てであるかのように誤解されるリスクもある。
近年ではレピュテーション・マネジメント企業などの民間企業に偽情報対策を委託する政府や企業が増加しており、これらの企業は営業上の要請から偽情報の脅威をアピールしたレポートを公開したり、メディアの取材に対して脅威を語り、対策の必要性を訴えたりして悪影響を広げる。
結論
以上、見てきたように現在のデジタル影響工作対策は全体像をとらえるのが難しいため、既存の組織と方法論が適用できる範囲で問題をとらえて対処しているのであり、問題に対して最適な解決方法を選択しているわけではない。莫大なデータを解析してもその前提となる問題のとらえ方が調査研究ごとに異なっているため知見を統合できず、議論も空回りする。組織や規制が整備され、対抗策が講じられ、ファクトチェックや偽情報発信者のテイクダウンなどが行われているので成果があがっているように見えるが、実質的には改善されていない。逆効果になっている可能性もある。一方、攻撃側である中露伊および他の権威主義国のデジタル影響工作は、手法を進化させ、効果のある攻撃手法を相互に参照しており、TTPs(Tactics, Techniques, Procedures:戦術、技術、手順)が類似してきている。
欧米および日本では、効果の期待できない規制強化に向かう可能性が高い。テーらによる前掲論文では警戒主義によって規制への同意が増加することが論じられている。その際焦点が当てられる対象が偏っているため、さらに警戒主義が悪化する。また、増加する偽情報の規制にはシステム的な対処が必要となることが多いが、こうしたシステムの導入を行うと、権威主義に向かう可能性が高い。なぜならあらゆるシステムには設計時および開発時点で思想と意図が織り込まれており、そのシステムを運用することはその思想と意図に従うことを意味するからだ。イデオロギーが仕様に強く結びついていることは世界国際電気通信会議(WCIT-12)で端的に示された[16]。警戒主義者の向かう先は検閲の強化と言論の抑制である。
早期に包括的なアプローチに切り替え、全体像を把握したうえでの対策を講じることが必要とされている。
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複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。近年はデジタル影響工作に関する著作が多い。