民主主義・人権プログラム
チリにおける憲法改正の否決より、民主的プロセスと裏切られた期待について何が学べるか?
出版日2023年5月2日
書誌名Issue Briefing No.26
著者名サッシャ・ハニグ・ヌニェズ
要旨 2022年9月、チリの有権者は、1年以上かけて起草され、三権分立などの自由民主主義の基本的要素を制限する新憲法案を、62%の反対をもって否決した。2023年11月にはチリで新たな国民投票が実施される予定であり、さらに他の多くの国々でも憲法改正が検討されている。こうした経緯を踏まえ、本稿では以下の2つの問いについて論じる。第一に、改憲プロセスの動向からどのような教訓が得られるのか。そして第二に、チリにおける憲法改正否決の主な理由は何なのか。これらの問いに答えるために、本稿ではまず、チリ国民によって共有されているナラティブを概観する。そして憲法改正が失敗に終わった背景、すなわちコミュニケーション不足や国民の信頼の喪失、そして憲法改正案に対する失望について分析する。
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チリにおける憲法改正の否決より、民主的プロセスと裏切られた期待について何が学べるか?

サッシャ・ハニグ・ヌニェズ
(一橋大学国際・公共政策大学院修士課程(JICA SDGsグローバル・リーダー・奨学金留学生);一橋大学グローバル・ガバナンス研究センター アシスタント;IDD研究所アソシエイト・リサーチャー)
2023年5月2日

2022年9月4日、チリの有権者の62%が、国内外を問わず最近の歴史上最も高い投票率で、155人の選出された代表者(最後は若干減少)が1年以上かけて起草した新憲法案を否決した。この結果は驚きではないが、世論調査では予想されていなかった否決と可決の票差は、チリと同様に世代や制度、政治の変化を経ている他の民主主義国家の未来に疑問を投げかけるものである。

チリ憲法の物語は、今回の否決で終わったわけではない。2023年11月には再び憲法改正に対する国民投票が行われる予定だが、この憲法改正案は、自由民主主義の基本的要素(三権分立や国際規範の遵守など)を制限し、さらに憲法の専門家を初期プロセスの中核に据えることで、法的手続きにおける極端な立場からの意見も制限している。

本稿は、次の2つの問いに答えることを目的とする。第一に、この改憲プロセスの動向から、どのような教訓を得ることができるのか、そして第二に、2022年9月の憲法改正案が劇的に否定された主な理由は何か、である。

上記の問いに答えるため、本稿では、世論調査や『エコノミスト』の最近の社説などチリ内外からの分析を通じて、国民が共有しているナラティブを概観する。さらに、第一回憲法制定会議の元メンバー2人と対話を行った。1人は最終草案の承認を支持したミゲル・アンヘル・ボット(Miguel Angel Botto、無所属中道左派)で、もう一人はそれを拒否したリカルド・ノイマン(Ricardo Neumann、無所属中道右派)である。彼らとの対話の分析結果は、上記の資料による全体的な解釈と共通する点がいくつかある。

これらの分析を踏まえて本稿は、チリにおける憲法改正の事例が、社会不安、エリートの離反、分極化、経済格差、偏った見方によってもたらされる不確実性、そして世論の期待に応えられない例であると論じる。さらにこのプロセスは、チリと世界との関係を変え、より保護主義的な国家を目指すものであった。

また、憲法の見直しは、チリに限ったことでない。日本ではかねてより憲法改正が議論されており、最近の安全保障関連の問題で議論が再燃している。また、2022年にはフィンランドやスウェーデンといった国々がNATOへの加盟のために中立原則を転換した。憲法改正を検討している国としては、セーシェル、アルメニア、ベリーズ、ガイアナ、ウズベキスタン、ジャマイカ、オーストラリアなどが挙げられる。

歴史概観 ―テクノクラートと民主主義への失望と灰から生まれたプロジェクト

1990年に民主主義が復活したチリは、世界で「最も自由な」国のひとつに位置づけられる制度的枠組みを構築した。しかし、この制度的な強みは、同国の制度に対する満足度には反映されていない。チリ国民の代議制民主主義に対する支持は最も低く、政治制度と政治家に対する信頼は底をつき、CEP Public Studyによれば政党に対する信頼度は2〜6%、議会に対する信頼は3〜6%と低い。

さらにエリートが無視してきた構造的な問題(家計の負債、医療へのアクセス、生活費など)が人々の間に不安を生み、2019年10月には抗議行動が勃発したが、その後のピニェラ政権による厳しい対応によって、暴力が激化し、分極化が進んだ。そして「平和のための合意」として、イデオロギーの対立を超えて全政治的勢力の下院議員が、新憲法制定に向けた政治プロセスを開始するための公開文書に署名した。抗議活動で市民が要求していた政策(主に医療費、低年金、不平等、エリートの無関心、経済停滞によるチャンス不足など)はここに含まれてはいないが、ピノチェト独裁政権が制定した1980年憲法に象徴される現行制度は法的文書を置き換えることで変更可能だというナラティブのもとで、このプロセスが取られた。チリ憲法は民主化以降何度か改正され、最大の改正は2005年のラゴス政権下で実施されたが、批評者の間では、ラゴス政権は自らの功績を残すために改正不可能な文言を残したと言われている。

2019年のチリでの抗議デモ
出典:ウィキペディア・クリエイティブ・コモンズ

このアイデアは反体制運動に受け入れられ、デモに関わりのある155人の憲法学者が選出された。そして憲法学者は憲法改正を提案し、国民投票の実施に向けて働きかけた。

憲法改正失敗の主な理由 ―高すぎる期待、不十分な結果

国民の8割近くが支持した改正案が、なぜ否決に至ったのか。その理由については、国民投票後の数週間、アナリストの間では3つの要因が議論されていた。第一にコミュニケーション不足、第二に国民間の信頼喪失、そして第三に多くの矛盾をはらみ非自由主義的な提案を含んだ改正案への失望である。さらに、新型コロナウイルスのパンデミックやインフレ、経済停滞の影響も当プロセスに影を落としていた。

コミュニケーション不足と低所得者層の「ローテオ(Roteo)」

憲法改正キャンペーンの初期から最終日まで、コミュニケーションはうまく管理されていなかった。この機会を利用して、改正案に対する攻撃的なナラティブを作成した人もいたが(一部の極右運動はフェイクニュースも流した)、憲法学者自身も、改正案と改正プロセスを擁護するのに十分な対応をとらなかった。また、自身の公的イメージを利用して相手や民間機関を貶めるコメントを発表した人もいれば、知名度を利用して国家のシンボルを攻撃し、再基礎化(re-foundation)を求める運動や過激な運動を支持する人もいた。

一般市民との対話では、憲法改正案の基本的な要素を引用することすらできない議員もいれば、「補償なき収用(expropriation without compensation)」や「収用、奪還(rather than expropriation, taking back」など)、極端な立場をアピールする議員もいた

こうした議員は自省することもなく、自らの誤りを正そうとする動きも見られなかった。他方彼らは、自分たちの成果を貶めようとする極右派の陰謀論や、マスコミによるフェイクニュース、あるいは一般市民の誤解を指摘した。SNS上で偽情報が拡散していたことは事実だが、それだけでは憲法改正に対する国民の反応や、意思決定者もしくは憲法学者の反応を説明することはできない。

多くの人にとって、これらの非難は傲慢に映った。これらの議員が憲法改正案に同意しない人を「無知な人」や「ファシスト」とまで呼んだためである。チリでは、「roteo」という単語は、低所得であることや文化資本や教育が少ないことを理由に相手を見下した呼称であり、改正案を拒否した人々に対してこれが使われた。さらに、改正案を拒否した低所得者層の人々を攻撃するために、「Facho probre(貧しいファシスト)」という言葉も使われた。一部では、これは「進歩的階級主義(progressive classism)」と解釈されていた。

しかし、その一方で、デモをしていた農村部の「Huasos」(チリのGauchosと呼ばれる伝統的な農民)と、賛成派の都市のサイクリストとの間で負傷者が出る暴力事件が発生したように、改憲賛成・反対派間で暴力的な衝突があったことも事実である。

チリ農村部の低所得者層はチリ国内で憲法改正に対して最も高い拒否率を示したが、これは対立を問題視し都市部から派生する問題を拒否したことによるものである。選挙後になって初めて、一部の人々はこのことを認めた

国民からの信頼の失墜と、選出された「憲法の代表者」への失望

第二の問題は、「憲法の代表者(constitution representatives)」に対する国民の失望である。コミュニケーションの問題と密接に関連するが、憲法制定に関わる人々の多くは、その過程でスキャンダラスな行動を取った。最大のスキャンダルは、医療環境の改善に携わる活動家であったロドリゴ・ロハス・バデ氏(Rodrigo Rojas Vade)によるものである。彼は、デモ中や選挙運動中に末期癌を患っていると嘘をついていたことを認め、辞任に追い込まれた。その他にも、コロナ隔離中にパーティーを行った者や、恐竜やピカチュウなどのコスプレで議会に参加した者、シャワー室で叫びながらZoomの投票を行った者など、「憲法の代表者」に関する不祥事を数え上げればきりがない。このため、当然ながら、改憲案に対する懐疑的な見方が広がっていった。改憲派はこれらの問題を隠蔽しようとしたが、代表的な改憲派の一人である作家のホルヘ・バラディット氏(Jorge Baradit)は、これらの不品行に関して一冊の本を出版している。

ロドリゴ・ロハス・ヴァーデ氏は、キャンペーンビデオで癌を患っていると偽っていた。

そして信頼喪失に関する最後の問題は、現大統領のガブリエル・ボリッチ(Gabriel Boric)である。36歳のボリッチ大統領は、「平和のための合意」の当初から改憲プロジェクトを公然と支持してきた。しかし、彼の政権は治安問題(犯罪件数は減少したものの、殺人や暴力犯罪が30%増加)や、移民、インフレ(12.8%増加)、経済発展などの問題で成果が出ず、支持率では劣勢に立たされている。国民投票当日の支持率は38%と低く、これは新憲法に賛成した人と同じ割合である。

コスプレをしている改憲代表者。 出典:TVNチリ

最終憲法改正案への失望

上記のような不祥事があったものの、有権者やアナリストが否決という結果を理解する際に言及する、最も悪名高く、一貫して繰り返される理由は、最終改正案に対する期待が裏切られたということである。新憲法案は、不平等や生活の質の低下を引き起こすとされる構造的な問題を是正するための、政治エリートから国民への約束だった。

その上、最終的な国民投票キャンペーンでは、憲法の中で矛盾する章や文法の間違いなど、物議を醸す部分が目立ってしまった。その代表的なものが第116条で、「虚偽の申告または詐欺によって国籍を取得した場合を除き」(スペイン語から訳出)、一定の場合に国籍を取り消すことができるとあり、法的には偽の国籍証明書を取得した人はその資格を維持できることになっていた。

憲法改正案は、憲法の内容自体にも概念的な問題を提示しており、例えば上院を廃止するなど「チェック・アンド・バランス」の少ない、より保護主義的な政府形態を整備して国家に大きな権限を与えるとともに、表現や知的財産権などの一部の自由を制限し、並行する司法形態さえも作り出している。また、拒否権を持つグループは社会運動を行う極左や元抗議関係者で構成され、先住民の代表も含まれていたため、不平等や生活の質の低さに取り組むための改正案のほとんどは、思想的かつ過激な考えに基づいていた。その結果、市民が投票し、新憲法に関するアイデアを提案できる仕組みである「国民の提案 (people’s proposals)」という概念は、ほとんど取り入れられなかった。これらの却下されたアイデアには、「アルゼンチン」シナリオを避けるための市民の退職金保持の権利や、教育や起業の自由が含まれていた。

最後に、このプロジェクトには、チリが国外に目を向けるのをやめ、「ボリバル」の夢に基づいたイデオロギー色の強い立場に立って、貿易と政治的なつながりを持つ南米地域だけに焦点を当てるという条項が盛り込まれている。もしこれが承認・実施されれば、アジア太平洋地域との幅広い関係を築き、太平洋におけるラテンアメリカの国際貿易の扉となるために費やされてきた数世紀にわたる歴史や努力に逆行することになる。このことを考えると、新しいプロジェクトや改革は国際的なトレンドを十分に踏まえるべきだ。そうすれば国際的な危機を予測することにさえ役立つはずである。チリはもはや孤島であるかのように振舞うことはできない。

若い民主主義国の未来と、考慮すべき教訓

選挙後の分析は、チリの人口構成と政治に関する興味深い事実を示している。まず、以前から指摘されていることだが、分極化しているにもかかわらず、多くのチリ国民は自分たちを左翼でも右翼でもなく、非政治的な「中道」だと考えている。このことは、選挙が分極化したときの参加率の低さを説明できるだけでなく、投票が義務づけられていた今回の国民投票の結果についても示唆的である。つまり、普段投票に足を運ばない国民の多くが今回は参加したのである。新しいプロセスでは、より偏った政治的な見解ではなく、専門家がガイドラインを示しながら、大きな合意を得ることを試みるべきだということがわかる。

次のステップのために考慮すべき第二の問題は、選挙で明らかになったチリの人口格差だ。都市部や富裕層の若者は新憲法を受け入れようとする傾向が強かったが、農村部の労働者階級の市民は新憲法を強く拒否した。これは、国民一人ひとりの現実に基づいた期待や世界観の違いを示している。例えば、全国すべての地域で改正拒否が上回ったとはいえ、都市中心部は農村部や首都以外の町よりも僅差の結果を示した。マウレやエル・ニウブルのように農村部の人口が多い地域は、拒否率が72%、74%だったのに対し、サンティアゴは55%にとどまった。また、通説とは異なり、先住民の人口比率が高い地域ほど、新憲法に拒否反応を示す割合が高い傾向にある。マプーチェ族の出身地であるラ・アラウカニアは、セルベルによれば74%の拒否率を示したが、この地域はもともと(直感に反して)かなり保守的な地域であった。

改憲派が地方行政の代表権の拡大やサンティアゴ・デ・チレからの独立を約束していたにもかかわらず、このような結果が生じた。この問題は、現政府と国会に対し、一般市民があまり反応しないような党派的で概念的な問題に都市部のエリートが焦点を当ててしまっているとの警告を発している。環境保護などのグローバルな運動が、都市部や富裕層以外の地域で共鳴することは難しくなっている。国民統合に関しては、若い世代に大きな責任がある。国の変化に敏感だからこそ、二極化を避け、合意形成のために力を発揮するよう努めるべきである。

結論

原案が否決されて以来、次のステップに関する一連の道筋が議論されてきた。一時は、2019年に当初議論されたように現行憲法を維持する案が支持されていたが、新憲法(最近の草案ではないが)に対する80%以上の圧倒的な支持が議論を覆し始めた。その結果、同じ問題を再発させないという条件で、大半の政党の間で新憲法を作成するという合意が成立した。この合意において最も興味深いのは、政策立案の官僚主義的なアプローチに回帰していることだろう。(パワーバランスに比例して)国会によって選ばれた24人の専門家が、選挙で選ばれた50人の市民とともに、新しい草案を作成することになっている。

チリの経験は、憲法改正を検討する他の国々にとっても参考になるだろう。憲法改正のプロセスがいかに重要であるかと同時に、いかに脆弱になりうるかを示すのみならず、制度の不確実性がどのように国家の国際的地位や将来に影響を及ぼすかを示しているからだ。

実現はしなかったものの、変化の中にはより保護主義的な戦略への回帰という問題があったため、チリと密接な関係にあるアジア太平洋諸国をはじめとした他国にとって、南米との関係を見直す転換点となった。

また、以下の点は政策立案者にとってのささやかな備忘録となろう。複数の政治的価値観がある国では、選挙における支持は政治家に無制限の裁量を与えるような白紙委任状ではない。また、エリートや急進的なアクターにとっては、イデオロギーは依然として重要である。専門家のアドバイスは政策を改善し国民からの信頼を醸成することに役立つ。加えて、多くの人が政策立案者に投票する際には、思想よりも性格や実績を重視していると考えられるため、政治家は常に熟慮して行動するべきである。

【翻訳】
スクビシュ ミハウ(一橋大学国際・公共政策大学院 修士課程)
中野 智仁(一橋大学国際・公共政策大学院 修士課程)
中島 崇裕(一橋大学法学部 学士課程)

プロフィール

JICA奨学金留学生として一橋大学国際・公共政策大学院グローバル・ガバナンスプログラムの修士課程に在籍。チリ出身。国際関係のアナリスト、金融記者としての経験もある。現在複数の組織でコンサルティングを行うほか、Instituto Desafíos de la Democraciaのアソシエイト・リサーチャー、一橋大学グローバル・ガバナンス研究センターのアシスタントも務める。主な研究分野は中国の世界的影響力、科学技術の社会的影響力。アドルフォ・イバニェス大学(Adolfo Ibáñez University)で修士号取得。学術的な関心に加え、3ヶ国語で出版された5冊の小説を持つフィクション小説家であり、En el Fin del Mundoポッドキャストの共同ホストとしても活躍している。