ミャンマーにおける市民社会の長い道のり
ニン・テ・テ・アウン
(国際・公共政策大学院 修士課程)
2023年3月15日
はじめに
ビルマという名称でも知られるミャンマーには、軍事独裁政権が人権侵害を行い、貧困を引き起こしてきた長い歴史がある。近年の歴史を見ると、ミャンマーは軍事政権の支配下で政治、経済、社会、保健、教育、人権に関連する数多くの危機に直面してきた。
2021年2月1日の軍事政権によるクーデターは、この国の暗黒の日々の出発点であった。2022年5月19日までに、軍事クーデターによる死者は1,848人以上に達し、約13,737人が塀の中や拘置所に収容されている。一方、世界人道概況(Global Humanitarian Overview)2022 によると、軍事クーデターの影響でミャンマー総人口5400万人のうち1440万人が人道支援を必要としている。また、クーデターに反対するさまざまなバックグラウンドを持つ人々が多くの場所で平和的なデモを行い、軍事政権に対する抵抗を続けている。
法的・政治的闘争に直面しながらも、軍事クーデターに抵抗する民主派の人々や市民社会組織など、さまざまなアクターが、市民的不服従運動を支援し、軍事政権の収入源を断つ運動を主導する上で極めて重要な存在となっている。
一国の発展における市民社会が果たす役割と能力は、必然的にガバナンスと民主主義に関係する。市民社会は、選挙監視から国会での立法府の形成までの全過程に携わる。政府成立後も、教育、保健、投資分野の支援、天然資源に関わる財政の透明性の確保、貧困の緩和、腐敗防止策の監視において市民社会は重要な役割を果たす。ミャンマーでは、市民社会組織(civil society organizations: CSOs)は、憲法における表現の自由の権利を保証するよう国会に働きかける役割も担っている。市民社会組織は教育や訓練を通じて国の発展に寄与する。保健や貧困の緩和そして地方から国会まで、あらゆることに関与している。
ミャンマーにおける市民社会の台頭
植民地時代後期の運動の多くは学生が主導し、この傾向は独立時代の社会運動にも引き継がれた。1988年には大学生による民主化運動である「フォーエイト」(four-eights) が起こり、数百人のデモ参加者が軍によって殺害された歴史的なデモが行われた。これは、アウンサンスーチーが代表的な人物になるきっかけとなった。同年、国家平和発展評議会のもとで市民社会組織の登録が許可された。しかし、2006年、同評議会は国際的な非政府組織がミャンマーで活動することを制限した。
ビルマでは2008年以降、30近い市民社会組織が設立され、サイクロン「ナルギス」の余波を受けたテイン・セイン(Thein Sein)政権時代にはさらに20以上もの市民社会組織が設立された。その後、テイン・セインと国民民主連盟(National League for Democracy: NLD)政権のもとで、多様な市民社会組織が誕生した。
2015年総選挙は転機だった。それまで市民社会組織と共通の基盤を持っていたにもかかわらず、政権樹立にあたってNLDは市民社会組織とは反対の側に動いたのである。それでも、教育や保健といった重要な分野が議会に委託された2010年以降、新たに形成された市民社会組織が国家の能力強化に携わってきた。
過去10年間に、土地、環境保護、男女平等、子どもの権利、労働者の権利、女性の権利、平和、天然資源、腐敗防止、責任に関する問題に対する市民社会組織の参加の重要度が増加している。市民社会が担う役割が確立されてきたことは、ミャンマーの民主主義への移行を明示しているといえる。市民社会ネットワークに関する研究は、市民社会ネットワークを、政策提言ネットワーク、ポストナルギスネットワーク、HIV関連ネットワーク、市民社会アンブレラネットワーク、メディアネットワーク、プロデューサーネットワークの6種類に分類している。
市民社会が抱える課題
しかしながら、過去数年にわたり連邦団結発展党(Union Solidarity and Development Party: USDP)とアウンサンスーチー文民政府(civilian government)の歴代政権のもとで、市民社会組織が民主化への道を推進することができていたかどうかは、疑問が残る。
テイン・セイン政権が導入した結社法の草案や、テイン・セイン政権とNLD政権下の人権活動家及び環境活動家の訴追と投獄に対して、市民社会の運動家は問題意識を広めている。例えば、軍の管理下にあるミャンマー経済公社(Myanmar Economic Corporation)が運営するセメント工場に懸念を表明したカレン族の環境活動家サウ・タ・フォー(Saw Tha Phoe)に対して、公共の恐怖や警戒を引き起こし「公共の平穏を乱」したかどで、NLD政府は刑法第505条(b)に基づき逮捕状を発行した。これは、ミャンマーにおける市民社会の活動範囲が縮小している証拠だ。
2015年の選挙後にNLD政権が発足した際、政府はチェック・アンド・バランスの受け入れに消極的になり、市民社会との関係が悪化した。NLD政権は、公共の場における市民社会に大きな役割を与えられなかったと批判された。
移行期を経て、2021年2月に軍がクーデターを起こし、ミャンマーは再び混乱に陥った。多くの市民社会組織が活動の停止や事務所の閉鎖を余儀なくされたが、これはクーデターが同国の市民社会の発展に及ぼした影響の一つに過ぎない。
市民社会のスタンス
10年にわたる2つの歴代政権の間、市民社会グループは人々と立場を共にし、この支援は現在の不当な軍事支配下でも続いている。実際、市民社会は政府の活動にチェック・アンド・バランスを与える集団行動の場となってきた。この意味で、市民社会組織はミャンマー国民と連帯している。フロンティア・ミャンマー(Frontier Myanmar)が言及したように、「市民社会のメンバーは、COVIDパンデミックの間でさえ、政権が拠出しない食料、酸素供給、医薬品を必要とする被災者への支援を提供したために、政権によって脅かされ、逮捕された」。
この10年間、法の支配は市民空間を守れなかった。しかし、市民社会活動家は同国での暴力の即時停止を求め続けてきた。停電など困難な状況の中でミャンマーの人々が正確な情報へのアクセスを可能にすることも、市民社会組織の課題となっている。さらに、市民社会組織が軍事評議会による弾圧に関する情報を世界に発信することも重要だ。
クーデター後、国内外の市民社会組織は困難に直面した。しかし、彼らは事業を継続し、コミュニティにサービスと支援を提供した。地元の民主化運動と連携するために、「生存主義」、「サービス提供とコミュニティベースの活動への移行」、「改革と抵抗」の3つの幅広い対応を堅持してきた。
グローバルなイニシアティブである採取産業透明性イニシアティブ(Extractive Industries Transparency Initiative: EITI)に関して、ミャンマーは2014年に第一歩を踏み出した。テイン・セインが天然資源のガバナンス改善のためにEITIプロセスの実施に意欲を示したのだ。しかし、市民社会の言論と運営の自由を保証するために、EITIの要件に従いながら、どのようにマルチステークホルダーグループ(政府、民間セクター、市民社会組織)を招集するかが課題になった。また、マルチステークホルダーグループの市民社会団体が、税金や収入に関する情報をすべてEITI報告書に公表するよう、政府機関や軍需企業を含む民間組織に依頼するのは困難であった。その結果、最終報告書には齟齬が生じたものの、市民社会は情報開示に重要な役割を担っており、その努力は高く評価できる。
市民社会組織は、国際社会に向けて情報を発信し、死者や人権侵害を防ぎ、経済的圧力をかけ、武器禁輸を行い、必要としている市民に人道支援を届けるために、あらゆる努力を重ねてきた。また、市民社会組織は、ロヒンギャ危機の問題や、軍が何十年にもわたって民族地域で犯してきた残酷な犯罪について、正義と説明責任を求めるために国家を補完するメカニズムとして機能している。政治的説明責任の強化は市民社会の核心だ。市民社会組織が国民統合協議会を通じて国民統一政府(National Unity Government: NUG)と協働するメカニズムがあるはずである。
結論
市民社会は、政府や民間セクターが対応できない政策領域で活動する、国家の発展にとって不可欠な存在である。特に紛争が絶えないミャンマーでは、市民社会は人権を守り、社会規範や行動を守るための重要な情報のソースとなる。したがって、援助を行う国際社会にとって市民社会の維持を支援することは、国家の発展と民主主義の価値に対する支援を意味する。
統治機関は、社会と国家の発展において、政府が提供するサービスを補完する上で、市民社会組織が果たす必要な役割を認識すべきだ。この目的のために、市民社会組織は市民にとって身近な存在であるべきである。その上で、政府のアクターは市民社会が提供するチェック・アンド・ バランスを受け入れ、市民社会が機能するための十分な空間を保証し維持しなければならない。
ラリー・ダイアモンド(Larry Diamond)が述べるように、「民主主義国家は、市民の尊敬と支持を受け、効果的で正当でなければ安定しない。市民社会はチェックであり、モニターであり、同時に民主国家と市民とのこのようなポジティブな関係を追求するための重要なパートナーである。」。ミャンマーの民主主義のために市民社会が果たす役割は明らかである。
【日本語翻訳】
田中秀一(法学研究科 博士後期課程)
中島崇裕(法学部 学士課程)
一橋大学国際・公共大学院修士課程所属。一橋大学大学院法学研究科客員研究員も務めた。市民社会、国際NGO、シンガポールのアドバイザリー会社で9年間の勤務経験がある。客員研究員以前は、透明性を求める市民活動(Citizen Action for Transparency: CAfT – Myanmar)でプログラム・ディレクターとして勤務。それ以前は、ミャンマー抽出産業透明性イニシアティブ(National Coordination Secretariat – Myanmar Extractive Industries Transparency Initiative: MEITI)でプログラムマネージャー、ノルウェー・ピープルズ・エイド(Norwegian People’s Aid)やその他の組織でプログラムオフィサーを務めていた。また、業務を通じて、市民社会組織やその活動家を支援してきた。ミャンマーの政治状況、女性の権利、移行期正義、集団行動、表現の自由に関する記事をビルマ語と英語で執筆している。フィリピンのアルダーズゲート大学(Aldersgate College)で行政学修士号、ミャンマーのダゴン大学(Dagon University)で法学学士号を取得。