「情報戦」の時代に注目されるファクトチェックの可能性
尹 在彦
(立教大学平和・コミュニティ研究機構特任研究員、NEWSTOF(韓国)客員ファクトチェッカー)
2023年1月19日
近年、誤情報がインターネット・SNS上で拡散しやすくなり、その対策にも関心が集まっている。しかし、民主主義体制においては国家機関が全てを検証・摘発することは困難である。国家機関の介入によっては表現の自由が後退する可能性もある。だが、誤情報の中には、国内外の政治勢力が社会的混乱を狙った「ディスインフォメーション(もしくは偽情報)1」も含まれており、自由な言論空間の自浄作用だけに任せきれないこともある。そこで注目されているのがメディアの「ファクトチェック報道」である。ファクトチェック報道は表現の自由の侵害など、国家機関の介入をもたらさず、ディスインフォメーションに対抗する手段である。これで自由な言論空間も保てる。
ユーロマイダンを受け、2014年にウクライナで発足した「StopFake2」はその一例である。現在、StopFakeはロシア側の繰り返されるディスインフォメーション工作に対し奮闘している(図 1)。ブチャでの虐殺をデマと決めつけるロシア側の報道を否定し、その根拠を様々な言語で伝える。当初は新たなジャーナリズム運動として誕生したファクトチェック報道が、サイバーセキュリティの重要な役割を果たしている。
図 1 ロシアのフェイクニュースを指摘するStopFake
出典:STOPFAKE. “Fake: US Calls Bucha Atrocities “Ukrainian Propaganda”
<https://www.stopfake.org/en/fake-us-calls-bucha-atrocities-ukrainian-propaganda/>
(Accessed on June 20, 2022)
本稿ではまずコロナ禍の初期に日本で拡散した誤情報(一部では偽情報も見られた)の事例と社会的混乱を振り返った後、ファクトチェック報道の誕生の経緯、韓国メディアの取り組みについて紹介していく。
メディアの検証のなかった「検査を増やすと医療が崩壊する」という主張
新型コロナウイルス感染症が日本でも拡大し始めた2020年3月、日本のレガシーメディア(新聞・テレビ)やSNSでは不思議な言説が飛び交っていた。「新型コロナウイルス感染症を確認するためのPCR検査を無暗に増やすと医療が崩壊する」という主張である。それまで馴染みのなかった「偽陰性」、「偽陽性」などが理由として登場し、具体的には検査を受けるために感染者が病院に殺到したり、安心した偽陰性の感染者が出歩くようになりということが根拠とされた3。
ツイッターでは同主張に対しリツイートもしくは同調する声が高まり、新聞やテレビにも注目された。一部の専門家が「検査体制は最大限拡充した方が良い」と反論しても響かなかった。同様の文脈で韓国式の「ドライブスルー検査は危険」との根拠のない主張が流布された後、発言の当事者により訂正される場面もあった4。一方で、いち早く感染拡大を経験していた韓国のメディア・SNSでは同様の主張は見当たらなかった。積極的に検査数を増やしても特に医療崩壊が起きたわけでもなかった。しかし、日本では「検査の増大=医療崩壊」といった独特の言説が急速に広まったのである。
2年が経った2022年6月現在、日本でコロナ検査を受けたいのに受けられないという人はもはやいない。東京都ではオミクロン株による感染の急拡大時に検査の無料化(2021年12月)が開始されたが、検査抑制論者の主張を立証するような事態は起きていない。検査対象はむしろ「無症状の人」となっている5。最初からメディアが検査抑制論を海外の状況と比較し、こまめに検証していたらPCR検査を巡る混乱は多少避けられたかもしれない。
検査抑制論が横行していた当時、日本政府は検査体制の拡充を掲げていたが6、検査抑制論に対し積極的には反論しなかった。検査数が足らなかった理由は未だ不明だが、対策に不備があった日本政府にとって検査抑制論は都合の良い主張でもあった。多くの日本メディアは検査抑制論を検証すべき対象ではなく、一つの説として紹介し、結果的にそれを助長した側面がある。
ファクトチェック報道はこういった報道を克服するための試みとして誕生した。つまり、「専門家の主張だから」、「政府当局者の説明だから」と特定の言説を垂れ流すのではなく、「裏付ける根拠はあるか否か」を様々な専門家の言説や資料を引用し検証する。
ファクトチェック報道は、2000年代に米国のジャーナリストらがそれまでの政治・政策報道を反省することから生まれた。単なる「客観報道」を志向するのではなく、主体的に発言や情報の真偽を検証することに焦点を当て、「He said, she said」というそれまでの慣行を克服するのが主眼であった7。イラク戦争の発端となったが見つからなかった「大量破壊兵器(WMD)」報道への反省、選挙時に飛び交う根拠の乏しい主張の急速な拡散に対する懸念も背景にあった。ドナルド・トランプといった強敵の登場(いわゆる「ポスト・トゥルース(post truth)」)で一時期揺らいだこともあったが、現在でも主たるファクトチェック報道はしたたかに続いている8。
韓国メディアの「ファクトチェック・ブーム」
2010年代以降、韓国でも米国の新たなジャーナリズムから触発された「ファクトチェック・ブーム」が起きている。2011年に誕生したテレビ局JTBCは3年後、ニュース番組にファクトチェックコーナーを取り入れる。毎日、5分以上で様々なテーマを取り上げ始めた9。政府統計の誤謬を見破って解説することもあれば、SNS上で拡散する真偽不明の情報を検証することもあった。上述の取り組みに対してはデューク大学10でファクトチェックを研究しているビル・アデアー教授も注目し11、ワシントンポスト紙にも紹介された12。その後、JTBCは朴槿恵大統領の弾劾につながるスクープでも注目を浴びる。
JTBCを皮切りに韓国ではレガシーメディアを中心にファクトチェック報道が定着していく。全ての地上波テレビ局は専門部署を設置しファクトチェックをニュース番組に組み込む一方で、新聞でも分量の制約のないインターネットニュースを通じて同様の報道を開始した。朴槿恵氏が弾劾された後に行われた2017年の大統領選挙では数えきれないほど、大統領候補へのファクトチェック報道が行われた。同年が「ファクトチェック元年」と言われる所以である。当時、韓国選挙管理委員会が把握したいわゆる「フェイクニュース」は3万8657件に及び、これは5年前の選挙時の5倍に達している13。その分、ファクトチェック報道の積極的な役割が求められていたのである。
同年には元ジャーナリストとメディア学者等が中心となって、ソウル大学に「SNUファクトチェックセンター」が誕生した。同機関は、韓国のインターネットプラットフォーム企業、NAVERの支援を受け、自主的、学問的、かつ実践的にサポートしている。全世界のファクトチェック報道の規範(綱領)を伝授するインターナショナル・ファクトチェッキング・ネットワーク(IFCN)14とも協力し、いわゆる韓国における「規範プロモーター」としても機能している。韓国で最も多くのユーザーが閲覧するNAVERニュースにもSNUファクトチェックのコーナーが設けられており、メディアの判定(「事実」、「概ね事実」、「半分は事実」、「概ね事実でない」、「全く事実でない」)を秤と共に表示している(図 2)。
図 2 SNUファクトチェックセンターの尹韓国大統領への検証報道まとめ
出典:SNUファクトチェックセンターのホームページ(https://factcheck.snu.ac.kr/)
コロナ禍と韓国メディアのファクトチェック報道
コロナ禍ではそれまで培ってきたファクトチェック報道の力量が試された。多くのメディアは新型コロナ感染症に対する偽情報・誤情報を時々刻々検証し、ワクチン接種についても立証されていない情報の信憑性を事細かにファクトチェックした。韓国言論学会15とSNUファクトチェックセンターが制定した「韓国ファクトチェック大賞」では、主にワクチンに関するフェイクニュースを検証した特集が2022年に受賞した16。2020年には前述した日本のコロナ状況、即ち少ない検査数を検証する韓国メディアのファクトチェック報道も少なくなかった17。韓国語が読める日本の読者にとっては少なくとも当時の状況は納得がいくものではなかったといえる。
2021年10月には筆者も日本の感染状況が落ち着いたことに対し、韓国国内で様々な陰謀論が提起されたことを受け、それを検証するファクトチェック記事を書いた18。当時の韓国では「総選挙を控えていた日本政府が意図的に検査数を調整している」といった言説が散見されていた。しかし、日本国内の様々な資料(とりわけ政府が集計しない学会の統計等)によると、その主張には根拠が乏しいというのが筆者の結論であった。
このように、現在韓国ではリアルタイムで様々な主張が自由な言論空間で検証されている。また、誰でも簡単にファクトチェック報道を確認することができる。韓国記者協会、放送記者連合会、韓国プロデューサー(PD)連合会等が合同で2020年設立した「ファクトチェックネット」では一般人を対象とした教育も行っている19。最近は日本でも韓国メディアの取り組みが紹介されており20、ファクトチェックが単純にジャーナリズム領域にとどまらず安全保障の側面からも重視されている21。
日本でも毎日新聞22等がファクトチェック報道を行っているものの、量的にも質的にも不足している。特に、IFCNの規範を取り入れている日本メディアはまだ存在していない23。ファクトチェックを専門とする独立系メディア、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)が活動はしているものの、全体的な記事本数で日本メディアは台湾や韓国に大いに水をあけられている(図 3)24。その背景には政治家との距離やジャーナリズムの差等もあると考えられる。しかしながら、メディア不信が高まり「情報戦」の脅威が語られている時代だからこそ、日本メディアもファクトチェック報道の全面的な導入を前向きに検討すべきではないだろうか。
図 3 日・韓・台のファクトチェック記事本数(2017-2022)
出典:「日本のファクトチェック活動は活性化したか」『FIJ』(2022年4月21日)
<https://fij.info/archives/10713>(accessed on June 20, 2022)
1. 本稿での誤情報は発信源の意図に関係ない根拠の乏しい情報を指す。ディスインフォメーション(偽情報)は意図(主に悪意)を持って流す誤情報を意味する。誤情報は内外の政治勢力や個々人の意図的な発信等によって、ディスインフォメーション=偽情報に変わることもあり得る。
2. STOPFAKE. <https://www.stopfake.org/en/main/> (accessed on June 17, 2022).
3. 「正しく知るPCR検査 『非感染の証明求め病院へ』ダメ」『朝日新聞デジタル』(2020年3月25日) <https://www.asahi.com/articles/ASN3S4J20N3CULBJ005.html> (accessed on June 17, 2022).
4. 村中璃子のツイッター(2020年3月19日) <https://twitter.com/rikomrnk/status/1240549404739682304?s=20&t=PjJ7MDIjrXXKXZwfftemOw> (accessed on June 17, 2022).
5.「PCR等検査無料化事業」『東京都福祉保健局』<https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/kensa/kensasuishin.html> (accessed on June 17, 2022).
6. 「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」『首相官邸』 (2020年5月25日)
<https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0525kaiken.html> (accessed on June 17, 2022).
7. Lucas Graves, Deciding What’s True: The Rise of Political Fact-Checking in American Journalism (New York: Columbia University Press, 2016).
8. 米国の3大ファクトチェック・メディアとしては「Factcheck.org <https://www.factcheck.org/>」、「ポリティ・ファクト <https://www.politifact.com/>」、「ワシントンポストのファクトチェッカー <https://www.washingtonpost.com/news/fact-checker/>」が挙げられる。
9. TBC뉴스룸 팩트체크 제작팀(JTBCニュースルームファクトチェック制作チーム)『세상을 바로 읽는 진실의 힘 팩트체크(世界を正しく読み取る真実の力 ファクトチェック)』중앙Books、2016年。
10. Duke Reporters’ Lab. “Fact Checking” <https://reporterslab.org/fact-checking/> (accessed on June 20, 2022).
11. Bill Adairのツイッター(2015年8月5日) <https://twitter.com/billadairduke/status/628908160024211456> (accessed on June 20, 2022).
12. “Fact checking of political statements expands dramatically overseas” (October 14, 2015) The Washington Post <https://www.washingtonpost.com/news/fact-checker/wp/2015/08/14/fact-checking-of-political-statements-expands-dramatically-overseas/> (accessed on June 20, 2022).
13.「2017년은 팩트체크 대중화 원년」『NEWSTOF』(2017年6月8日)<http://www.newstof.com/news/articleView.html?idxno=108> (accessed on June 20, 2022).
14. International Fact-Checking Network <https://www.poynter.org/ifcn/> (accessed on June 20, 2022).
16. Journalists Association of Korea 「제5회 ‘한국팩트체크대상’ 시상식 열려」(2022年3月29日)<http://m.journalist.or.kr/m/m_article.html?no=51266> (accessed on June 20, 2022).
17. 「[팩트체크] 한일 코로나19 확진자 차이에 검사시스템 변수?」『聯合ニュース』(2020年2月26日)
<https://www.yna.co.kr/view/AKR20200226176700502> (accessed on June 20, 2022).
18.「일본 확진자 급감소, 스가의 ‘총선용 선물’인가 음모론인가」『NEWSTOF』(2021年10月15日)
<http://www.newstof.com/news/articleView.html?idxno=12202> (accessed on June 20, 2022).
19.ファクトチェックネット <https://factchecker.or.kr/fc_archives/press?page=3&tag=%EC%98%A4%EC%84%B8%ED%9B%88> (accessed on June 20, 2022).
20.「偽・誤情報の速い拡散 ファクトチェック充実へ、メディア連携急務」『朝日新聞デジタル』(2022年6月10日) <https://digital.asahi.com/articles/DA3S15320359.html?_requesturl=articles%2FDA3S15320359.html&pn=2 > (accessed on June 20, 2022).
21. 「『我が国のサイバー安全保障の確保』事業 政策提言”外国からのディスインフォメーションに備えを!~サイバー空間の情報操作の脅威~”」『笹川平和財団』(2022年2月7日) <https://www.spf.org/security/publications/20220207_cyber.html> (accessed on June 20, 2022).
22.「連載 ファクトチェック」『毎日新聞』毎日新聞のファクトチェック<https://mainichi.jp/ch191047912i/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF> (accessed on June 20, 2022).
23.「Verified signatories of the IFCN code of principles」<https://ifcncodeofprinciples.poynter.org/signatories> (accessed on September 10, 2022).
24. 「日本のファクトチェック活動は活性化したか」『FIJ』(2022年4月21日) <https://fij.info/archives/10713> (accessed on June 20, 2022).
立教大学平和コミュニティ研究機構特別任用研究員。NEWSTOF(韓国)客員ファクトチェッカーも務める。元毎日経済新聞(韓国)記者。一橋大学にて博士号(法学)を取得。