終わりなき戦いのなかにある希望なき地の人々
ニン・テ・テ・アウン
(一橋大学大学院法学研究科 客員研究員)
2022年8月29日
本稿は、2022年6月4日にWorld Today Political Magazine (ယနေ့ခေတ် နိုင်ငံရေး မဂ္ဂဇင်း) から出版された “မဆုံးနိုင်တဲ့ ပဋိပက္ခတွေကြားက မျှော်လင့်ချက်မဲ့နေရတဲ့ မြေစာပင်များ” の日本語翻訳である。原文は以下にてアクセス可能:https://www.ynkhit.com/မဆုံးနိုင်တဲ့-ပဋိပက္ခတွ/
「もし、私が国内避難民になっていなかったら、今頃、友人たちと話をしていたかもしれません。竹を切ったり、炭を作ったりするのが私たちの生業で、商売にはなりませんが、少なくとも家族や友人と楽しく、質素な生活を送ることはできます。今は、暗い話を見聞きするのが怖いです。隣の村の人が軍事政権に殺されたという話を聞くと、もう生きる場所がないのではと思うことがあります。もし、自分の家族や友人が軍に殺されたらと想像すると、とても恐ろしい気持ちになります。」
これは、22歳の国内避難民の男性が、筆者に語ってくれた言葉である。
70年にわたるミャンマーの内戦によってすでに避難民となっている多数の人に加え、2021年2月以降、国内避難民の大幅な増加が確認された。国連の調査結果によると、その数は2021年2月以降、37万人から80万人へと2倍以上に増加した。2022年には90万人以上に達している。
出典:“Displacement trends” from UNHCR, “Myanmar Emergency Update,” (May 4, 2022), p.5. https://data.unhcr.org/en/documents/download/92563
ミャンマー全土から避難してきた人々は、難民キャンプだけでなく、ジャングルや近隣の村にも避難しなければならない。性別、年齢を問わず様々な人が避難を強いられているが、中でもお年寄りや乳幼児が特に苦しめられている。国内避難民へのインタビューの結果、70代、80代の人々の中には「家から出たくないから、ここにいる」として、危険な生活を続けている人が多い。
上ビルマ在住のコ・エ・チャン(Ko Aye Chan)は、「特定の難民キャンプはなく、国内避難民はテントや宗教施設の近くで落ち着くほかありません。一方、私たちにとっての最大の問題は、非武装地帯がないことです。そのため、北部で紛争が起きると、南部へ避難しなければなりません。その際、国内避難民の食事はホストコミュニティが面倒をみてくれます。私たちの地域には32の国内避難民村がありますが、中には完全に破壊されてしまった村もあります。そのため茅葺き屋根のもとで野宿を余儀なくされている人や、砂上に仮住まいを設けている人もいます。この数カ月、国内避難民の数は増加し続けており、彼らは都市部には絶対に行けないので、私たちのような支援者が避難所を手配しなければなりません。お金があっても、米や薬、油や塩など、不足しているものは買えません。ガソリンについて言えば、4,000〜5,000ミャンマー・チャット(約300〜370円)を出しても1リットルさえ買えないのです」と語った。
コ・エ・チャンと同様に、上ビルマの山岳地帯で国内避難民の救援活動を行っている人物も、国連を含む国際機関が紛争配慮に力を注ぐ一方で国内避難民への配慮を欠いている現状を鑑みて、人道支援に懸念を抱いている。またこの人物は、国際社会や東南アジア諸国連合(Association of South East Asian Nations:ASEAN)の動きについて、「彼らは人道的な問題を声高に叫んでいるが、実際には私たち国民が助け合わなければならないのです」と語った。
軍事クーデターにより、2021年2月以降、教育部門は非常に弱体化された。6月に新学期を迎えるにもかかわらず、次世代を担う子供たちは、親の肩に腕を回して学校に行くのではなく、親と手をつないでジャングルの中を走らなければならないのだ。学校にいれば、休み時間に友達とおやつを食べるかもしれいが、実際には爆弾や銃から逃れるために、お腹を空かせて洞窟の中や木の下に隠れなければならない。
国内避難民の女子(11歳)は、「学校に行けるようになったら、7年生になる予定です。勉強もしたいし、友だちにも会いたいです。今、友達の何人かは地域の公立学校で勉強しています。私の場合、以前は家族と離れて地域の公立学校に通っていたので、弟や妹の面倒を見るのは初めてです」と語った。
国内避難民の中でも、乳幼児の母親は、子供と自分自身の安全のために、非常に困難な状況に直面している。また、成人した少女を持つ親は、軍兵士から逃げながら娘の安全を心配している。難民キャンプではなく、庭や森で戦火を逃れている人たちは、さらに困難な状況にある。
7人の子どもの母親である女性は、今回が初めての避難生活で、子どもたちが恐怖で泣くと対応に困るという経験を語ってくれた。彼女は「一度だけ、汗ばむほどの暑さの中、レンガの窯の中に隠れなければならなかったことがあります。しかし、食料や水を用意する時間もなく、食事時にあえて外に出て食事をするのは本当に大変でした。こんな地獄があるのかと思いました」と語った。この他にも、戦争から逃げている間、何度もお腹を空かせたというエピソードを紹介してくれた。
通信に関しては、国内避難民の女性(50歳)は、「電気はありませんが、持ってきたバイクのバッテリーがあります。また、太陽光発電でバッテリーを充電することもできます。携帯電話を充電して、親戚や友人と情報交換や緊急連絡をするのにとても役立っています。」と語った。
国内避難民をリストアップするとき、難民キャンプにいる人々だけでは不十分であり、ジャングルで生活している避難民も数える必要があるとインタビューでは指摘されていた。次世代を担う学齢期の子どもたちが学校や教室から遠ざかっている間に、私たちの未来も一緒に遠ざかっているのである。
【翻訳】
中野 智仁(一橋大学国際・公共政策大学院 修士課程)
一橋大学大学院法学研究科客員研究員。市民団体、国際 NGO、シンガポールを拠点とするアドバイザリーファームにおける実務経験を持つ。透明性を求める市民活動(ミャンマー)(Citizen Action for Transparency: CAfT – Myanmar)でプログラム・ディレクター、ミャンマー抽出産業透明性イニシアティブ(Myanmar Extractive Industries Transparency Initiative: MEITI)でプログラム・マネージャー、ノルウェー・ピープルズ・エイド(Norwegian People’s Aid)でプログラム・オフィサーとして務め、職務を通じて市民団体と活動家を支援してきた。ミャンマーの政治状況、女性の権利、移行期正義、集団行動、表現の自由に関して、ビルマ語と英語で執筆している。フィリピンのアルダーズゲート大学(Aldersgate College)で行政学(修士)、ミャンマーのダゴン大学(Dagon University)で法学学士を取得。